編集長コラム | ||
「僕の世迷い言ですが……」 | 農業経営者 3月号 | (1994/03/01)
この間、読者においても、はっきり商売と割り切れるならともかく、いつにない都会の知人や親戚からの電話に、ほろ苦い思いをさせられたのではないかと思う。お百姓でもお米屋でもない僕にまで、電話が舞い込んできた。その多くは、自分にというより「農業に関係しているのだから米を紹介してくれ」と人から頼まれて苦慮されている方だった。
このところあまりばかばかしくて、まじめにテレビのニュースや新聞を見る気がしなくなってしまっている自分を反省しつつ、翌日、事務所のある高田馬場周辺の米販売事情をあらためて観察してみたら、確かに、スーパーには開店前から行列ができ、開店されても商品棚には米がない。そして、米屋は店を閉めていた。
ここに至って、いよいよ我が農政と、あの戦時体制下だか全体主義国家のそれを思わせる食糧庁官僚や党派を問わぬ嘘つき政治家たちに対して、文字通り「お前ら一体何なのだ」と叫びたくなった。そして同時に、彼らだけでなく、農業の周辺でその利権のおこぼれに預ってきた僕自身を含むすべての農業関係者に対して。もちろん農家へもだ。
テレビに出てきた彼らは、おのれの失政は棚に上げ、いわんやつい先日まで、全会一致で「農業を守るため、一粒たりとも輸入せず」などと、守れもしない決議を繰り返していたのにもかかわらず、こともあろうか「国民の異常ともいえる国産米への需要が、供給不安や価格高騰を招いている」などと、まさに語るに落ちることをいう。それなら、そもそも輸入しても問題ないではないか、と言いたくなる。
また、実体として食管制度が空洞化しているなかで語られる、空虚な順法精神を振り回すだけの言葉も白々しい。さらに例のごとく、ここぞとばかりに「米隠し」だ「買い占めだ」と騒ぎたて、それに加えて確たる証拠もないのに「外米にネズミが入っていた」「外米の安全性」などといいつのり、混乱を煽るだけの輩の正義面へは、国産米はそんなに安全ですか、そのほとんどが輸入に依存している他の輸入農産物は問題ないのですか、と問い掛けてみたくなる。その上で、いかに天候不良だったとはいえ、そもそもこんな混乱が引き起こった原因には、農家自身の自らの仕事に対する怠慢があったことにも知らぬふりはしたくない。あまつさえ社会主義国家と見まがうほどに官僚支配が貫徹し、そして、だれの目にも今ほど行政改革の必要性が明らかな我が国の農業界において、今回の不作が、あらためて役人や団体屋たちがばっこするチャンスを作ってしまったのだから。
とはいえ、やがて値上がりするのが分かっていたら、買い占めに走る者がいたとしても、舌打ちくらいはしても、それもやむを得ないだろうと僕はおもう。その行儀の悪さも市場社会の一部なのだから。それでもやがては納まるべきところに納まるからだ。半面、いま、個々の農家に、国家への食糧供給責任を問うのも、いかにも戦時体制めいて異常だし、彼らに農業生産への注力を求めても無理というもの。そもそも、ほとんどの「農家」と呼ばれる人々の稲作とは、もうそれは趣味の範疇の作業なのだからだ。
だとするなら、農政は何を守ろうとし、何を育てようとしてきたのだ。実はそれは、農家や農業という存在をダシにして、官僚たち、そして僕自身を含めた企業、団体の農業関係者たちに大小の利権とおしゃべりのネタを提供しつつ、農業を安楽死させることにすぎなかったのか。それでは、あまりに情けない。もっとも農業経営者たちは、そんなヤワな存在ではないはずだが……。
皆が満腹であり、だれも困ってはいないように見える。しかし、いま、確実に何かがおかしくなっている。
「少しの不作の結果、米が足りなくなったくらいで、あんまり息張るなヨ」と笑われそうだし、そんなことでの大言壮語はむしろ世迷い言にしか聞こえないかもしれない。
でもこれは、いまの様な時だから、僕自身に向かっていっておこうと思うのだ。僕にできることは、仕事を通して顧客たる人々の便益のために働くこと。また、従業員や家族のために働き、彼らやその他の隣人たちとともに、未来を良きものにしたい。それ以上でも、以下でもない。生きていく限り何物も傷つけずに済むなどとは、仮にも思わないが、ただ、小さな事業者、職業人としてのわきまえのある振る舞いが、隣人に良き影響力を持つことが在り得ることを願い、それを幸いだと思いたい。
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