【(株)生産者連合デコポン 井尻 弘二(千葉県成田市)】
愛媛県の柑橘農家に生まれた井尻弘は、農業改良普及員を務めるうち、農家に本当に必要な指導とは「作ることよりも売ること」だと気付く。公務員の職を捨ててまで井尻が身を転じた先は、野菜の流通販売の世界。思いを共有できる千葉県の農家と生産者連合「デコポン」を設立し、海外への宅配も含め、年商10億円に迫る事業を育てるまでになったが、それを支えたのは、夢を追い続ける井尻と農家との強い絆だった。
香港とシンガポールの家庭に日本の農産物を届けるわけ
株式会社生産者連合デコポン。その社名がなんともユニークだ。
「面白い名前でしょ。それが狙いです。わが社の経営理念の第一は“楽しい農業の実践”。農業が面白くなる、農業を面白くすることです!」
代表取締役の井尻弘は、そう言って元気よく笑った。でも、千葉県にある会社なのに、なぜデコポンなのだろうか?
「僕は愛媛の柑橘農家の息子です。まだマイナーな新品種だったけど、愛媛で生産が広がり始めていたデコポンは、見かけは悪くても中身はおいしい。努力して有機野菜作りに取り組んでいる農家の生産物をお客様に届けるという、我われの活動にとってもぴったりの社名なのです。それに、柑橘のデコポンが有名になっていけば、わが社の名前も覚えてもらいやすいと思ったんですよ」
デコポンは、生まれは1961年でも気持ちは28歳ですと笑う井尻の、大真面目な茶目っ気から生まれた社名であり、その元気が同社を育ててきた。そんな同社の事業を象徴するもののひとつが、海外への宅配事業である。
井尻が千葉県内の有機農産物を引き売りで売ることから始まった同社は、1993年4月の設立時には有機農産物を専門に扱う小売業、外食業向けの卸が業務の主体だった。設立早々、スタッフの一人が香港に旅行し、そこで出会った現地の日本人駐在員から「野菜を送ってもらえないか」と頼まれたのがことの始まりになった。同社は今でも卸業務が事業の主体。最近までは国内から宅配の注文を受けても、宅配事業の取引先であるオイシックスに紹介するのを基本にしていたくらいだ。
お客さんがいるのに、農業や農家が置かれている制約から、そこに直接品物を届けることができなかった農業界。それを打ち破ろうと始めたのがデコポンなのだ。社内には海外宅配に懐疑的な意見もあったが、井尻の「面白いじゃないですか!」で結論は出た。
当時、香港では、農薬を使った野菜を食べて人が死ぬという、日本では想像もつかない事件が実際に起きていた。「毒菜」という言葉で恐れられ、現地に駐在している日本人の間には、日本の野菜を手に入れたいという切実な要望があったのだ。
94年、8軒の駐在員家庭からの注文を受けて始まった香港向け宅配は、現地の日本人社会に口コミで一気に広がった。その後、SARSウイルス事件や経済危機による香港市場の縮小もあったが、現在でも約350戸、さらにシンガポールの約250戸の家庭にも、2週に1回のペースで宅配されている。
国内で3000円の宅配パックが、香港に送ると運賃や現地の事務手数料などを含めて790香港ドル(約9400円)、シンガポールでは170シンガポールドル(約1万250円)になる。しかし円高が進んだ現在でも、特に注文が減るということはない。
(以下つづく)