編集長コラム | ||
朝日「ニセ低農薬米報道」事件について | 農業経営者 12月号 | (1994/12/01)
11月6日付けの朝日の記事は、「岩手県○○市の自由来(ヤミ米)生産販売業者が、通常の量の農薬を使い栽培した昨年産米を「低農薬栽培米」と偽って高値で販売していたことが、朝日新聞社の調べで分かった」
というものであった。
ただ週間文春が11月24日号でその朝日新聞の報じた「スクープ」が「ニセ低農薬米」と報道するにはその記事は少し一方的に過ぎ、その報道によりI氏は契約者からのキャンセルが相つぎ大きな損害を受けただけでなく著しく信用を傷つけられている、として大新聞「朝日」の非を指摘する記事を掲載している。
文春の取材によれば、
1 朝日新聞が取材したという農薬散布した米をI氏経由で売ってきたという人の取材は実際には行われておらず、いわばデッチあげであること。
2 朝日新聞は、I氏の袋には「イモチ病剤、オリゼメート等は使用せず」とうたってあるが、昨年度、I氏の水田には空中散布によりイモチ病剤が散布されており、にもかかわらず従来の米袋を使ったことを「告発」していること。
3 しかし、I氏は今まで「低農薬米」として表示している米には除草剤を一回使用するのみで、殺虫剤はまったく使用せず、イモチ病剤やオリゼメート剤などの殺菌剤も使用していない。その農薬使用量は地域標準の38%という十分に「低農薬栽培」をうたい得るものであること。さらに、昨年度いわば「強制的に」イモチ病剤を含む空中散布が地域全体で行われたことを考えれば、大新聞による「ニセ低農薬米」という「告発」は、少しI氏には気の毒であること。むしろI氏らの抗議で今年度から空中散布は取り止めになった、とI氏に同情的である。
空中散布が自分の意志ではないとはいえ、昨年度の場合、結果からいえば袋の表示には誤りがあったわけで、その告知を怠ったことはI氏にも非はある。
今回の朝日の報道を通して、その背景にあるもの、そして時代に先駆けて道を切り開こうという経営者のおかれている立場について考えさせられた。
文春は、他社の地元担当記者の話として朝日の記事は「農協か食糧事務所のリークでは?」という推量を書いている。いかにもありそうな気もするが、そうだとしたら、それはあまりにもお粗末で子供じみた「陰謀」である。だから、仮に関係者であっても個人的なおしゃべりに発したことではないかと、むしろ僕は思いたい。もし公的な組織が法制度や契約上においての特定の個人を問題にするのなら、あくまで法や契約の問題として対処すべきことであると考えるのが、組織人のはずだからである。それが組織や行政の原則である「公正」を信じる前提だと思うからだ。
この「ニセ低農薬米報道」事件の怖さとは、責任能力のない個人の妬みによって発せられる噂や、自らの小さな失点がメディアにのることで、それまで作り上げてきた事業者としての信用をいとも簡単に潰えさせられてしまうことを示していることである。
今回の事件の本質は、農業関係者の変化への危機感なのではないか。どこにでも誰にでも降りかかり得る事件なのだ。この問題の背景にあるのは、いままで「農業問題」として語られてきた「農業を守れ」という「建て前」の大合唱の本質が、実は「農業・農家」の問題というより、行政や団体だけでなく農業関連企業を含む、今の利権にしがみつきたい「農業関係者」の問題であったことが誰の目にも明らかになってきたことだ。
この先、今まであれほど強いと思われてきた組織や企業が組織縮小をせねばならず、人員も整理せねばならないのである。機械や資材の生産流通も否応なく変化が迫られる。それは自助努力する農業経営者たちにとっては、むしろ望ましいことかもしれない。それでよいのだ。しかし、それらの組織や企業もかつては求められ有効に機能したはずのシステムであり人びとであったものなのである。この変化には誰かの痛みを伴うのだ。
「経営者は裁かれているのですヨ。お客様、従業員、家族、社会そして歴史に裁かれている」と、ある経営者の方から聞かされたことがある。
その社長は、だから自らを問えといい、またそこからこそ経営者であるおのれの社会的責務と意志を確認し、そして勇気を持て、と僕に伝えたかったのだと思っている。それを自らに問えるからこそ、様々な障害や抵抗を、時としては誰かに痛手を与えることがあったとしても、それを乗り越えて自分の思うことを確信を持って行えるのではないか。
経営者の自負とは、自らを被害者としてその怨念をたぎらせるあなた任せの人生ではなく、誰かを傷つける存在であるかもしれないおのれを問いながら、社会に求められる存在として未来を開く人生を歩もうとする意志から生まれてくるのではないか。経営者であることの面白さと有り難さもそこにあるのではないか。少なくとも僕らは、誰かに頼まれて現在の仕事をしているわけではないのだから。
その意味でI氏に思いを込めてエールを送りたい。
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