編集長コラム | ||
僕は「江刺しの稲」を育てているか? | 農業経営者 3月号 | (1995/03/01)
実は、前号発行後、どなたに紹介されたのか、面識もなく本誌の読者でもなかった家子氏から電話をいただいた。
頼みもしないものであったが、栽培していた稲に空中散布の農薬がかかったことを表示しなかったことは、同氏にも非がある旨を書いた。にもかかわらず、家子氏は今回の事件に関してご自身の経営者としての反省とともに記事に対するお礼を述べられた。もちろん、僕は時代に風波を立てながらも信念の経営をしておられる家子氏にエールを送るつもりで書いた。であればこそ自ら問わねばならぬことのある立場に、生意気を申し上げた。家子氏のお話は、同氏の謙虚さとともに経営者としての自負を感じるものであり、その電話を嬉しくありがたいものであると感じた。
「江刺の稲」と題したこのコラムは、読者と同様の一人の自営業者である僕自身の練習問題として考え報告したい、と第一回目にお断りした。他人様には笑われるかもしれないが、小さくともそれこそ人生を掛けてこの仕事をしているつもりの僕にとっての逃げ場のない確認と検証の場にしたいという思いがあるからだ。同時に、一般論として経営が語られるのでなく、特定の個人の生身の体験や失敗、感じたことをその通りに書くことこそが、読者にとっては他山の石としていただけるのではないかと考えるからだ。また、でなければ公に人を評論などするべき資格はないとも考えるからだ。
さて、本誌創刊時以来、当社で働いていた二人のスタッフが昨年中に退社した。僕がそうであるように、それぞれに良いところがあり、欠点もあった。でも、友情を感じ得る人々であるし、僕がこの仕事を一緒にやって欲しいと思った人々であった。どんな事情であったにしろ、突き詰めればそれは僕自身の不徳であると言わざるを得ない。
僕は創刊の辞で「土を信じる」と書いた。少し引用が長くなるがそこに次のように書いた。「経営者にとって『土』とは、足元の耕し統ける土であると同時に、それは家族であり、ともに汗をかく仲間であり、協力者たちであり、取引先であり、生産物やサービスを買ってもらう顧客なのではないか」と。そして「働きかけ続け、戻し続けて、そして信じる。土を信じよう。そこに未来があるからだ」と。
これは、優れた農業者や事業経営者から学んできたことであり、農業の、そしてあらゆる経営の原点だと、僕が思っていることだ。
それは、読者に向かっての呼びかけであると同時に、僕自身と仲間たちへの宣言でもあった。その思いはいささかも変えるつもりはない。しかし、それをともに語った本誌創刊以来のスタッフが去っていった。僕は、果たして言う通りの振舞いをできてきたのだろうか?内容は違うが、一部の読者からも「変節した」との「お叱り」をいただいたりもした。力が足りず、また努力も足らず果たせぬことは余りに多いが、編集の文脈を変えるつもりはない、変わってもいないと思っている。
「立場が違うのだよ」「従業員にすべてを分からせようと思っても無理だよ」「止めたら補充すればよいだけだ」と慰めてくださる経営者の方もいた。
確かにその通りかもしれない。でも、こうありたいという僕自身の願望を、彼らに押しつけていただけなのだろうか、という反省はある。お前はそれだけのことをできていたか、と。「人」を「土」に類推するのは当人にとっては失礼かもしれないが、世の中であれ、家族であれ、子供であれ、ともに働く人であれ、思い通りに行かないことのほうが多い。僕の場合も、仮に正しいと思っていながらでも、やはり創刊号の当欄で書いた「江刺しの稲」と比較した「管理された水田の内側の稲」を作り上げてきていたのかもしれない。
農家の本当の仕事とは「土を作ることだ」というお話しを聞いたことがある。そうすれば「作物は自ら育つ。そして作物が自ら収穫物を生み出していく」と。人は、家庭で、会社で、あるいは社会で、それぞれの場所で、夢を実現する作物を育てるために「土」を作り続けなければならないのだろう。それが経営者の仕事であるはずだ。作り続ける田は、災害で失われるかもしれない。それは終わりなく続く作業なのだろう。僕は、自分自身で語ったことでもう一度自分を検証してみるつもりだ。
そして、我が編集部には二人のチェルノーゼム級の土が客土されたことも、合わせてご報告しておきたい。
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