編集長コラム | ||
改めて「問うべきは我より他に無し」 | 農業経営者 2月号 | (1996/02/01)
「農家に向けて発行している農業専門紙で住専問題をあの切り口で解説されたのは初めて」だとお褒め下さる方もあり、有り難く感ずるとともに我々が果たすべき役割をあらためて感じた次第であった。
その電話の主はさらに、
「日本農業新聞をはじめとする農業専門の新聞や雑誌で住専に関する記事を読んでいると腹が立って、もうこんなもの読むかと思ってしまう。これは「農業」や「農家」の新聞であるというより「農協」や「農業団体」のための新聞なんだね」と。そして、その電話の主との会話はこんな話題に展開していった。
同氏は、青年部で活動してきて以来、共済の推進をはじめ農協活動や地域の農業組織に関与してきただけ、現在の農業専門紙の報道姿勢そのものに農協や農業団体の現在を見るようで、読むたびに空しさとやり切れない怒りを感じると話していた。
読者の感想を伝えるために電話の主の言葉を借りたが、それは僕の感想でもあり意見でもある。しかし、我々はそれを糾弾し現在を嘆息すれば済むのだろうか。
電話の主の怒りは、単に農業新聞の編集姿勢の問題というより、農家の利害を代弁する存在であったはずの農協組織が、今回、余りにもあからさまにそして大規模に、組合員への背任ともとれる行為を続けてきたことが露見してしまい、しかも農協の広報機関である日本農業新聞がやっきになって系統組織の弁解を代弁していることへの農家としての苛立ちである。
勘違いしていただきたくない。読者の言葉を借りて日本農業新聞をはじめとする多くの農業専門誌紙を槍玉にあげ、自らを弁解し正当性を語ろうなどというのではない。そんなことより、僕自身を含む農業関係者の存在理由と農業の「現在」を問わずして、我々に安心できる未来などはないと思うからだ。
我が国の農業界は今、西側国家群に対する崩壊前夜の社会主義の国々、あるいは自民党に対するかつての社会党のイデオロギー的破綻になぞらえてもよい事態にたち至っていると思える。我々はそんな混乱の中でも自らを守り、厳しい環境の中で誇りある立場を維持できるのか。呑気に農業界の現在を批判しながらも、なお農業に落とされる利権や保護のおこぼれを期待している「弱さ」を自ら中に見つけることはないか。誰しも楽して転がり込む利益を保証する利権に執着しがちだ。しかし安楽のなかで弱体化していき、活力や創造力が失われていくのは人の一生も経営も同様ではないのだろうか。
問うべきは我々一人ひとりなのだ。我々自身のために。これまでの安楽な農業界に慣れ親しんでしまった者として己の危うさこそを自問すべきではないか。
行政も団体、関連企業、そして農家もまた、これまでの既得利権を守ることに汲汲とする時代は終わってしまったのだ。農業に対する団体組織としての存在理由を問い、顧客に必要とされる企業たり得るかを問えぬ限り、それらの団体、企業の未来は暗いものにならざるを得ない。農家も自立更生の精神を持たぬものは取り残されていくだろう。
むしろ真摯にそれを問い、団体成立の根拠となった本来の受益者や、顧客の利益を見つめることの中にしか未来はないのではあるまいか。
今までの常識が通用しなくなる歴史の転換点に我々は立っているのだ。すでに有効な答えを出す力を失ってしまったこれまでの物事の見方や考え方、あるいは問うべき言葉に代わる、新しい思考の枠組みを自ら創り上げていく勇気と未来へ向かう夢こそが必要なのである。混乱は避けられないだろう。しかし、一人ひとりの自助努力と未来への夢が農業の創造的未来に結びついていくのだ。
未来を明るくする夢をこそ見ようではないか。自尊ではなく自負心において。小さくとも未来への夢と次世代への責任を自覚する経営者として、誇りある職業人として。
Zfxkza - erection pills that work Arwojh