編集長コラム | ||
農業は消費者のためにある | 農業経営者 1月号 | (1999/01/01)
2001年にはミニマム・アクセスという執行猶予の期間が終わり、日本の米生産者も関税化という世界標準の中で生きていく時代が始まる。
これから2年間、その交渉の推移に多くの農家や農業関係者たちは一喜一憂することになるだろう。しかし、我々は国益を守るための外交交渉に注目し、それへの対策を考えるだけでよいのだろうか。
そろそろ、自由化による農家経営の圧迫という言い慣らされた問題認識そのものから脱するべき時なのである。日本の農業が、自らの経営が、顧客に選ばれるに足るものであるか否かが問われるべきなのである。誤解の無いよう断るが、経営規模や売上の大小を言っているのではなく、農業とその顧客との関係を問題にしているのだ。
顧客のために、すなわち自分自身のために、経営をどのように改革させたのか。コストダウンにどの様な手を打ってきたか。規模拡大の手立ては。顧客に求められる商品生産が可能な技術やノウハウの確立、あるいはその販売チャンネルの開拓は。さもなくば稲作に見切りを付けて他作目への転換を図ることや事業多角化に取り組んできたのか。そして、何よりもあなたはこの5年の間に何人の「お客様」に「農業を営業する者」として出会ってきたか。
村や組織(業界や会社と言い換えてもよい)の調和という耳触りの良い言葉を使って、何もしないという保身の選択をしてきたのではないか。それとも、政府や農業団体や自らが属する組織が構造改革を遅らせるから身動きが取れないと、被害者意識の弁解をするのか。やれなかったのか?それとも、あなたはやらなかったのではないか?
「あなた」とは同時に僕自身の事であり、農業にかかわる全ての職業人や経営者のことでもある。
これまで続いてきた「官」が「民」を保護と指導のもとに支配する「開発途上国」としての我が国の国家経営は、すでに破綻している。農業だけでなく金融、ゼネコン(国土開発)、福祉・医療、教育などの分野では、「官」による上からの指導だけでは解決のつかない程に当事者たちが責任能力を失い機能を果せなくなっている。国家経営の根幹であるが故に官の規制と保護がより強く働いてきたためでもある。
強い自負心と高い能力を持ち大きな責務を果すべき者たちが、顧客(受益者)に裁かれる真の競争にさらされることもなく、安楽の保護が与えられ続けてきた結果、創造力ではなく保護と利権に頼り、無責任と自己保身に汲々とするばかりの虚弱な存在になってしまったからである。さらに、日本の社会そのものも、リーダーやエリートと言われる人々を含めて「権利の対価としての義務」を果す功利主義はあっても「誇りゆえの責務」を担おうとする者の国ではなくなってしまった。
2001年を我々は、農業経営者を含むすべての産業人がそして国民の一人一人が、「何を得るか」ではなく「何を果せるか」を問い、社会や国に対して自らの責務を果そうとする真の「先進国」となる世紀の始まりを画する年にすべきなのである。チャンスの平等の下に、誇りと能力ゆえに責務を担おうとする者がリードする国となるべきなのである。
強い権力や資本を持つ「強者」ではなく、「適者」が消費者や国民の支持を得てその責任を果していく「自由」。「民」の力がその理念と誇りと責務の自覚において国家や社会をリードするのが真の「先進国」の姿なのである。
銀行や金融・保険等の分野では、外国資本が日本市場に流れ込んでいる。しかし、それは外国資本に日本が蹂躙されることでも支配されることでもないのだ。ただ、規制と保護の下に安住した日本の金融界に代わって彼らが日本の消費者や国民に選ばれる利益の提供しているからにすぎないのだ。
農業を含む我が国の産業界に日本の国民や消費者の支持を受ける能力は本当にないのだろうか。
農業経営者たちよ、そのためにこそ「お客様」を見つめよう。農業経営者そして僕を含むあらゆる農業関係者たちは、農業や農家のためにではなく消費者のために選ばれて働く者なのであり、「農業は消費者のためにある」ことを再確認しよう。その自覚こそに農業経営者と農と食に関わるすべての職業人の誇りと未来を求めようではないか。
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