編集長コラム | ||
対立的二元論を超えて | 農業経営者 2月号 | (1999/02/01)
中内氏と言えば、流通業界を「生産者(メーカー)の販売窓口」という存在から「消費者利益の代弁者」に変えていくことで、わが国を先進国型消費社会へと導いた担い手であった。当時の中内氏あるいはダイエーをはじめとする新しい形の小売業の出現が、それまでのわが国の生産者中心の生産・消費構造を大きく変えていったのだ。
それは、終戦の混乱期が終わり、日本人にとっての「消費」の意味が「欠乏」あるいは「空腹」を満たす「生き延びるための消費」から「豊かさを求める消費」へと変化していく過程でもあった。同時にそれは、生産者ではなく消費者が物の生産・消費の構造をリードする消費者中心の社会への変化だった。
「にもかかわらず」と言うべきであろう。こうした戦後の生産・消費の構造変化にもかかわらず、農業界においては今に至るまで「生産者の論理」を主張し続けているのである。
その理由は、つい数年前まで存在していた、まさに窮乏の時代の制度と言うべき「食糧管理法」あるいはその論理が農業界の精神構造を金縛りにしてきたからなのである。同時にそれは政治の思惑によって、「生産者」という立場を実質的に失っている大多数の「農家」という名の「農村消費者」の利害を過度に守ってきた結果でもあるのだ。そのために、本来の生産者(農業経営者)たちまでもが、競争の中で顧客の要求に答えていくという、事業者としてのあたりまえの役割を見失わされてきたのである。
残念ながらわが国の農業界は、今やっと消費者を意識する時代にいる。農業が他の産業に伍し、消費者の要求に応えていくためには、まず、農業経営者自身が、「農業者」としてではなく、あたりまえの「営業者」としてのトレーニングを積むことを必要としているのかもしれない。我々はまだその位置にいるのだ。
そのために一人ひとりの農業経営者が「お客様」という言葉を自然に使えるようになること、そして、「営業すること」そして「売れない体験」を通して、「買っていただけること」の有り難さをしみじみと感じてみる事こそが必要なのだと僕は考えている。
一人ひとりの農業経営者たちが、営業者として「お客様」に出会う体験の積み重ね無しに、わが国の農業の未来はないのである。
しかし、日本の社会は、流通改革の旗手であった中内氏が次の世代へと席を譲る時代なのである。中内氏らが実践してきた「生産者」対「消費者」という「対立的二元論」の中での「消費者の利益を守るという立場」自体が、すでに時代によって超えられようとしているのだ。そもそもの「対立的二元論」の思考方法が有効性を失いはじめているのである。
むしろ、対立ではなく改めての共同性あるいは新しい「循環の論理」こそが求められているのだ。
農業について言えば、生産から流通・消費にいたる全ての人々が理念と自然についての情報を共有する形で、新しい農業生産と消費のスタイルを作っていく時代が来ているのではないだろうか。
そのヒントは、本誌で取り上げている農産物消費業界の方々の言葉に隠されていると思う。対立的二元論を超えた「循環型の生産・消費構造」の社会の中で我々が進むべき道が。
そこに「強者」ではなくとも「適者」あるいは「必要とされる存在」としての農業が見えてくる。そして、農業には、まずもっての供給者としての責任と同時に、「物質循環業」という農業の本来的でしかも21世紀的な役割が期待される時代が始まろうとしている。
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