編集長コラム | ||
食べる人のために! | 農業経営者 4月号 | (1999/04/01)
農業は「食べる人(消費者)」のためにあるのだ。農民や農業のために消費者がいるのではなく、農家自身を含めた消費者(食べる人)のために農業や農業経営者は存在しているのだということを我々は忘れるべきではない。
これまで農業界や農家は「農業者の生活権」を語ることには熱心であっても、どれだけの重さで「食べる人のために」と考えてきただろうか。
現在の農業とその関連産業が危機だというのであれば、農業そして農業関係者は、まず自らの存在理由を問うことから始めるべきである。農業が誰のためにあり、そして、我々は必要とされているのか、と。
消費者は農業に対して様々に期待を持っている。しかも日本の農産物が求められているのだ。にもかかわらず、政策的保護に甘んじて「食べる人(消費者)」の立場より生産者の利害を優先してきた。同時に、農業の世界では競争で自らを磨くことより被害者意識を共有しつつ横並びの安楽さの中に安住しようとしてきたとは言えないか。そのために、農業界は道を見失っているのだ。農業関係者の言葉の中には、「農業を守るのは消費者の責任である」かのように聞こえるものがある。しかし、それは農業界の甘えであり、あくまでそれは農業者の責任なのだ。顧客に必要とされる仕事は必ず顧客によって守られるのである。
一方、こんなことを言う人がいる。
「農業の世界も力の強い者だけが勝ち残るサバイバルゲームの時代だ」
彼はやがて居るべき場所を失うであろう。
勝ち残ろうとして規模拡大やコストダウンを進めたとしても、それだけで彼は真の勝者になれるのだろうか。仮に小さな井の中で「勝ち残った」としても、他の産地に、あるいは海外にはもっと強力な競争者がいる。規模の拡大やコストダウンも必要である。ただし、それは「価格の満足」という顧客の期待に応えるためにである。
我々が競わねばならないのは、むしろ農業を必要とする人、食べる人、すなわち顧客に選ばれる競争なのである。「食べる人」あるいは「顧客」に選ばれるに足る農業や農業経営であるか否かが問題なのである。
農業社会という隔離された小さな村の中で「強者」が「弱者」を打ち負かして生き残るのではなく、社会あるいは消費者に「必要とされる者」が選ばれて残っていくのだ。市場社会ではあたりまえのことであろう。そして、それは農業経営者たちに困難をもたらすものではなく、経営者としての自由が与えることなのである。
お客さんとの会話を交わしながら産直や庭先販売あるいは行商をする人なら、それは先刻承知のことだろう。むしろ、規模や販売額の大きさで経営を評価することに慣らされた大規模経営者や農業指導者にそうした誤解を持つ人が多いのだ。
北海道のトップ農業経営者たちの集まりである「北海道土を考える会」(玉手博章会長・会員数約千五百人)は、今年7月9・10日の両日、第22回目の「北海道農業フェアー」を開催する。毎年、道内各地はもとより府県からも多数の見学者を集める畑作農業を中心にした農業フェアーである。
「北海道土を考える会」が、取り上げた今年のテーマは「食べる人のために!」である。常に消費者と対面している外食業界の団体、(社)日本フードサービス協会の協力も得て、農業と商業そして農業生産技術を提供する企業を含めた全ての人々が「食べる人のために共有すべきもの」を問う、出会いのフォーラムを開催するという。
例年通り北海道の畑作機械を一堂に集める機械フェアーも開催されるが、その目的も単なる生産の合理化にとどめず、食べる人を視野に入れた農業生産技術の展示・実演会にするそうだ。
農業経営者たちがその呼びかけ人となり「食べる人のために!」と呼びかける農業の祭典とは、多分、農業界始まって以来の快挙ではないだろうか。
「土を考える会」の詳細については、後日、お伝えしたい。
deltasone with no script online - prednisone best price where to buy prednisone