編集長コラム | ||
日本という「安心村」の囚われ人 | 農業経営者 10月号 | (1999/10/01)
9月5日からハイファで開かれた農業展示会「アグリテック99」を参観するというのも目的の一つだったが、皆の関心は農業や技術問題にとどまらなかった。慣れ親しんだ日常から解放され、異境の空間や文化に触れる旅は、日頃あまり意識することもない国家というものや、自らが背負う文化、あるいは我々の生き方、いわば自分自身の足下を改めて見つめさせるものだった。
イスラエルの都市は30年か40年前の東京か、20年前の那覇の景色に似ていると僕は思った。戦後というより、最初に住み付いた人々のバラックを取り壊しながら、新しい都市を作り上げている姿である。今の日本なら柵で囲むような、再開発地域の瓦礫の山やゴミ捨て場所が、現代的なビルやホテルのすぐ脇に広がっている。日本の高度成長の時代がそうであったように、成長のエネルギーと混乱とが同居している。
ユダヤ人、アラブ人、そして流浪の民ベドウィンを含めた様々な宗教を背負う人々や民族が、政治・宗教的には互いに相手を拒絶しながら共存している。ユダヤ教、イスラム教そしてキリスト教という三つの宗教に共通する聖地であるエルサレム。嘆きの壁の前で祈るユダヤ教徒だけでなく、キリストが十字架を背負って登ったゴルゴダの丘に至る道を埋める世界中からのキリスト教の巡礼者。そして、アラブ人たち。細い路地に軒を連ねるユダヤ人とアラブ人の土産物屋の声。ゴミ収集業者のストライキがあったというが、足の踏み場もないほどに捨てられたゴミの山の中にある聖地。宗教心の希薄な日本人が、いわば伊勢神宮の参道のような場所をこんなゴミの山にするものだろうかと考え込んでしまう。僕らの想像を超えた世界がそこにあった。そこは聖地でありながら、むしろ混沌だとか、全ての物を飲み込んだ拮抗の中にあるバランスとでもいうようなものを感じさせる場所だった。
滞在中、展示会のあったハイファ、ガリラヤ湖畔の保養地ティベリア、そしてエルサレムで、僕らの旅程に合わせるかのように爆弾テロが起きた。しかし、イスラエルでのテロはアラブ過激派による自爆テロであり、一般市民が死傷することは少ないという。もっともイスラエルでは、アメリカやヨーロッパあるいは最近の日本の都市で見られるような、その国や社会がその規範として守ってきたものが崩壊していく過程にある、不安や不満に由来する暴力や盗みはむしろ少ないのかもしれない。
僕たちは、テルアビブからティベリアでの展示会見学の後に、イスラエルの水源であるガリラヤ湖から、小川と言っても間違いではないヨルダン河に沿って、その行き止まりの湖である死海南部へ、そしてエルサレムを経て、ガザ地区といわれる地中海沿岸の地区を含む各地を訪ね歩いた。第三次中東戦争でイスラエルの占領地区となったヨルダン河西岸の鉄条網に囲まれ、監視所や検問所のあるイスラエル占領地区の荒れ野に開かれた農場の景色は、銃と鍬を携え、水を確保する灌漑設備を敷設しながら国を守ってきたイスラエルという国を感じさせた。訪ねたユダヤ人が欧米向けにハーブ栽培をする最新式の農場のすぐ横には、大きな石がゴロゴロした畑に、イスラエルの灌水技術や水を使うアラブ人の農場があった。また、死海からエルサレムに至る道の脇や、高層ビルの建つ市街に入るすぐ直前の道路際の砂漠にも、数頭のラクダとロバ、そして沢山の羊の群とともに流浪するベドウィンたちの粗末な小屋やテントが見えた。それがイスラエルなのである。
そんな中にいると、世界の常識からは隔離された極東の島国に住み、水と自然の恵みと、支配される安心の中で生かされてきたひ弱な日本人を感じてしまう。その反対に、自らが武器を持ったユダヤ人の自決によって作った国で、他者あるいは敵(アラブ人)の存在を絶対的拒否の中でタフに認めてしまうイスラエル人の強さを感じる。
日本では、あらゆる組織や集団、企業、村社会、様々な業界の構成員たちが、まだ自らが「隔離された安心の社会」の囚われの民であることを自覚しようとすらしていない。安穏とした暮らしに慣れ、日本という守られた村の中での競争や居場所作りにうつつを抜かし、迫り来る変化への自立的な対応もせずそこに安住し続けようとしている日本人が見えてくる。
一概にイスラエルが正しく日本が間違っているなどとは言えないだろう。しかし、これまで我々が「常識」と思ってきたことを疑ってみること、そして日本あるいは日本人にとって、本来の「あたりまえさ」とは何かと考えることの必要性を自覚させる旅であった。次号より、参加者によるイスラエル報告を紹介していきたい。
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