編集長コラム | ||
農薬業界人よ、役割に自負を持て | 農業経営者 11月号 | (1999/11/01)
しかし、そんな僕に同感だと言いながらも、寂しそうに、そしていかにも悔しそうに話す農薬業界人がいた。
「子供が学校で父親が農薬メーカーに勤めていることを話せない」のだと彼は言う。
そんな教師の言葉が、その子が誇らしく語りたいはずの職業人としての父親に対する尊敬を傷付けたのである。教師は父親の職業人としての姿に偏見のフィルターをかけることによって、子供が社会人としての生き方を学ぶ最も身近で確かな教育の手段と、親と子の絆を育てる大事なチャンスをその家族から奪ってしまったとも言えるのだ。誇らしく親の背中を見つめようとしている農家の子供たちも同じ立場に置かれているのではないか。
すでに「農薬の危険性」あるいは「農薬利用への不安」は、一つの優勢な世論にすらなっている。我々が食べている農産物のほとんどは農薬の利用を前提に供給されているのに。
農薬に使われる「成分」の多くが「毒物」であることは否定しようもないことである。それ故に、食糧生産技術としての農薬に対して人々が不安に感じ、その技術開発や使用の在り方に批判の目を向けることはやむを得ないし、あってしかるべきことだ。
しかし、現在使用が許可されている農薬を適正に利用する限り、農薬を利用した農産物に由来する健康リスク(例えば発ガン性)は限りなくゼロに近いものである。むしろ、タバコを取り上げるまでもなく、人が昔から当たり前に食べ続けてきた様々な食べ物の方が、はるかに発ガン物質となるリスクが高いものなのだという事実も、多くの人々に認識されるべきである。
同時に、農薬を批判する人々の多くは、農薬に使われる「毒物」としての「成分」の存在を問題にするが、どれほどの量で影響を及ぼすかが語られぬまま、人々の不安を煽っている場合が多い。しかし、問題はその「量」なのであり、その成分が存在するということと、現実に人や環境にとって有害であるということとは別の問題である。
そうした風潮の中で、使用基準を含めて厳しい農薬登録をクリアした農薬を適正に使用した農産物が偏見の目で見られ、その反対に天然物由来の(農薬の様な厳しい安全チェックを受けていないという意味にもなる)資材を使った農産物が「農薬を使っていない」といって評価を受けるという事態も生じている。天然物にも毒物は沢山あり、農薬を適正に使用した農産物の方が遥かに信頼性の高い安全な食べ物だと言うべきなのに。
農薬や農業生産にかかわる者たちは、そろそろ農業や農薬に対する見当違いの批判に対して防戦的反論や科学的な正論を主張するだけでなく、幅広い情報の公開を前提に、もっと伝える工夫を考えてみる必要はないか。そして、農産物の流通・消費にかかわる企業も、「お客様のため」「食べる人のため」にこそ自らの営業活動の中で、情緒的ではなく科学的に「農薬の価値」を正面から取り上げるべき時代が来ているのではないか。
僕は、生産者であれその販売者であれ高い理想を持つ「有機・無農薬」への取り組みには敬意を持っている。しかし、小さな特殊な流通としてならともかく、大規模な農産物流通の場でもそれがマーケティングの主要なテーマになっているようなトンチンカンは、もうそろそろ止めるべきだと思う。それは農業生産や農産物の消費にとって本質的なことではなく、それを語ることもやがて商売人の無知や嘘や苦しい言い訳に過ぎないことが露見することになるからだ。農業を語ることはできても言葉で作物は作れないのだから。
とは言うものの外食業や小売業の業界人にしてみれば、客商売の中で敢えて火中の栗は拾いたくないという「営業的思惑」が働くのも当然だ。しかし、本物の商売、お客様に選ばれる競争の原理を信じる企業経営者の「経営理念」があるのなら、農業生産と消費についての本来の姿を伝え、新しい常識を作り出していくことへの自らの役割や、その結果として得られるお客様の支持を想像できないだろうか。
同時に、そんな時代だからこそ農薬業界の人々に、自らの責任と職業人としての誇りを取り戻して、挫けることなく「農薬の価値」を伝える努力を続けて欲しいと思う。農薬業界人のそして農家の子供たちのためにも。
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