編集長コラム | ||
転換期の稲作経営者の生き方 | 農業経営者 9月号 | (2000/09/01)
小泉さんは借地を中心に16haの稲作をしている。米の販売は米穀店向けの契約栽培、旅館などの大口顧客を中心にした直売、それに農協出荷が三分の一の割合だそうだ。昨年度の場合でも、農協出荷分は最終的に1俵一万七千円という水準であり、自分で販売をするものも含めて米価が一気に下がっていくことを覚悟している。
しかし、小泉さんは稲専業の「自己完結型大規模米生産者」として発展するのではなく、兼業農家を顧客とする「サービス業者」としての事業展開をとることによって低米価時代の経営戦略を見出している。
小泉さんの苗は、保温折衷苗代に準じた方式で田をローラーで均して箱を並べ、薄播きで葉齢をかせいだ中苗。苗の値段は農協の育苗センターと同じだが苗の配達はしない。それでも本田での活着が違う小泉さんの苗は断然人気がある。
反対に、収穫・乾燥に関しては、農業委員会の標準作業料金10a二万七千円に対して、小泉さんは三万円。もっとも、引き受けている水田の区画が平均で20~30a、一番大きなほ場でも40aと作業条件は良くない。そのために、コンバインベースマシンは5条刈が2台であるが、狭い湿田での作業に対応するために2条刈の機械を常にスタンバイさせている。乾燥設備にしても、60石から32石まで合計7台を並べ、「顧客満足」に気遣ったきめ細やかな配慮をしている。
乾燥や籾摺りだけの注文も多い。籾摺りだけでも年間約1万俵だという。集まる大量の籾殻も、そのほとんどを暗渠の充填資材として利用し、作業を請負うほ場に暗渠施工するのが冬場の賃仕事になってもいる。
家族はご両親と奥さん、そして今年からは息子さんが加わった。春秋には雇用をするが、基本的には家族でこなす。
小泉さんは、自分の顧客の変化に注目している。これまで小泉さんに仕事を頼んできたのは、2反、5反といった栽培規模1ha未満の反別の小さな兼業農家層だ。ところが、この1、2年前から1~3ha規模階層からの依頼が急激に増えている。そして、その背景には、米価の動向や機械導入費用だけではなく、兼業農家を囲む社会の構造変化があることに小泉さんは気付いている。
例えば、自己完結型の機械化を組んできた2、3ha層の兼業農家は、これまで農繁期には会社を休んで農業をしてきた。しかし、企業は農繁期に休む人からリストラの対象にしていくだろう。他に収入先があると雇用主は判断するからだ。
彼らは紛れも無いサラリーマンなのである。彼らにとって勤め先を失うことは生活を失うことだ。米価の低迷など兼業農家が農業を続けることへの本質問題では無いのだ。彼らは農家かもしれないが、農業を『業』として行う人ではない。だとしたら、経営収支上は見合うはずも無い高額の機械を買い、リストラされる不安を抱えてまで会社を休み趣味的な農業を続けるか。
退職年齢を迎えた元気な高齢者はともかく、職業人として現役世代である兼業農家たちはどうか。彼らは米作りを続けても、もう高額な機械を買わないのではないか。
小泉さんは、それが彼の住む地域での当面の農家の生活設計のパターンになると読んだ。生産主体の経営から受託ビジネスというサービス業への傾斜はそれを前提としたものなのだ。
こうした『兼業農家向けサービス業』を展開することは、米の供給過剰の原因となっている趣味化した小規模兼業稲作農家を温存させることにも繋がる。農業の構造改革を求める稲作農業経営者の立場からすれば、自己矛盾のように思うかも知れない。
しかし、我々には『農業・農政』問題ではなく自らの『経営』問題こそが課題なのである。経営者は評論家ではない。むしろ、制度や基本法の変化を議論し、画餅を眺めてそれを食えない苛立ちに、何時の間にか自らを時代の『被害者』であるかのような意識に陥ってはいないか。それは敗北者の道を歩むことである。
我々経営者は、明確な理想と理念を心に持ち、しかも社会(顧客)に必要とされて、生き物としての経営を成り立たせ続けること。そして、経営の実践を通してこそ農業や社会に対する役割を果たし変革を志すべきなのである。
稲作経営を志したものに、この数年間は最大の難局の時代である。しかし、それを乗り切るために、すでに実態としては空想の存在に過ぎない「農村社会」を含めた、日本という社会の構造変化をもっと見つめるべきだ。
道は必ずある。そして、それを見出すのが経営者なのだ。
このテーマに付いては、あらためて論じてみたい。
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