編集長コラム | ||
頑張れ、げんきまんまん塾 | 農業経営者 10月号 | (2000/10/01)
村山さんを東海村の「げんきまんまん塾」主催のシンポジウム「農業と環境・エネルギーの共生」に誘い、同行したのは筆者である。そして、主催者の中心人物である照沼勝浩さんのこと、彼らの取り組みを紹介し、そして後日談として知り合いのジャーナリストから受け取ったFAXを村山さんに転送したのも筆者だ。それは、予定されていたイベントへの補助金取り消しを報じる地方紙のコピーだった。
筆者は村山さんの意見に基本的に同感である。とりわけ、東海村が受けている€€風評被害€€について村山さんが書く「原発に触れることをタブーとし、何かあった時には黙して語らず、ひたすら「風評被害」の通り過ぎるのを待ち、補助金をもらってやり過ごしていくというこれまでの姿勢そのものが「風評被害」を生んできた…」という€€風評被害の当事者責任€€を問う視点は、問題の本質をついている。そして、それは被害者という立場への同情に甘んじることなく、東海村に次世代に残すべき誇りある未来を創り出して行こうとする照沼勝浩さんたち「げんきまんまん塾」を立ち上げた人々の思いでもあると思う。
しかし、筆者はその後に彼らの運動に対する横槍が入ったことより、「風評問題や原子力問題の被害者」としてではなく「東海村の農業者や住民の誇り」において語ろうと呼びかける彼らの姿の中に、骨太で新しい時代の精神を感じさせる勇気と自信を見た思いがする、と書いておきたい。
彼らは、原子力問題や環境問題を「白か黒かの議論」ではなく、「被害者対加害者という論理」でも、国家や大資本と国民や住民という「権力と被支配者」といった、単純な対立的二元論の図式において語ろうとはしない。起こり得る不安をきちんと見据え、しかも自らがその被害者としてだけでなく、同時にその恩恵に浴する者でもあるという事実を真正面から見つめようとする。そして、むしろリスクの対価として与えられている保護や保証(それは受けて当然である)についても、それがもたらす安楽の中で、人間としての誇りを失うことの危機を自覚すべきだと照沼さんたちは提起しているのだと思う。
白か黒かは解り易い。しかし、我々が生きている時代や社会は白黒で語れるほど単純ではない。むしろ、現代の日本人の誰でもが抱えている不条理を受け止め、しかも無自覚に現状肯定をするのではなく、人間としての誇りを自らに問うところから答えを求めていこうと呼びかけているのである。
彼らは、このシンポジウムで原子力問題について、「賛成・反対」の答えを求めてはいない。しかし、原子力問題について相変わらず賛成か反対かという立場でしか語られない東海村の中では、彼らの意図は十分に通じず、そして、彼らの運動を報じたメディアも同じだ。
時間の制約などでシンポジウムでは十分に論点を深められたとは言えない。しかし、彼らがゲストとして呼んだ話題提供者の人選の中に(そこに答えがあるという意味ではなく)企画者の精神が示されていた。
「文明批評家」としての木村庄三郎さん(東京大学名誉教授)と宮崎県綾町で照葉樹林の山を残す町作りに取り組んだ故郷田實町長の運動を受け継ぐ郷田美紀子さんに、その歴史あるいは自然と人間に対する洞察を語らせる。そしてその共感の上に、千葉県の農業経営者木内博一さん(和郷園代表・本誌99年11月号経営者ルポに登場)と、熊本県水俣市の環境保全課長吉本哲郎さん(著書=「私の地元学」「住のエコロジー」他)にその活動を語らせた。
木内さんは、生産者の消費者に対する責任として和郷園としての厳しい「農薬利用基準」を作り、情報公開に取り組んでいる。 農薬に対する認識の壁だけでなく情報公開を阻む様々な矛盾を自覚しつつも現代の農と食を伝えようとしている。また、吉本さんは技術開発に伴う人間社会の不条理を全てその中に示しているとも言うべき水俣市において、どん底の中から患者も加害者企業もなく「水俣差別」という「風評被害」を、その当事者(地元の人間)として克服しようとしている人物である。
誤解かもしれないが、照沼さんは木村さんや郷田さんへの共感の上に、この二人の実践家たちの勇気と誇りある行動を伝えることで東海村の明日を語ろうとしたのではないだろうか。
併せて97年の動燃による放射能漏れ事故後の照沼勝浩さんの農業経営者としての葛藤とその中での彼の生き様を紹介した「農業経営者ルポ」(22号・1997年4月)の農業経営者ルポをぜひ再読願いたい(FAX情報番号1050で読める)。
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