編集長コラム | ||
「現在」という「過去の結果」から自由になる | 農業経営者 2月号 | (2001/02/01)
方言だけでなく、広島弁を使うチンピラヤクザから今時のコギャル言葉、業界固有の言葉遣いも同じだ。言葉遣いや訛りは、単に摺り込まれた習慣というだけでなく、人々が自分の居場所や背負った文化を確認する記号なのである。職業や地域、あるいは様々な世代その他の集団を構成する者たちが固有な言葉遣いや行動パターンをとるのは、それによって彼らが精神の安定を保つことができ、集団への帰属意識が自信を与えるためである。人は集団から疎外されることを恐れ、同時に準拠する文化が無くなることへの不安を持っている。新しい価値基準が明瞭ではない時代には、他者から見れば矛盾が明らかであっても人は帰属する組織や集団の論理や行動様式あるいは思考の「枠組み」に固執する。そして批判者を排除しようとする。崩壊期にあったソビエト社会やつい先ごろまでの農業界に限らぬ現代の日本の状況とはまさにそういうものではないだろうか。
北海道でも海の幸に恵まれ、早くから東北地方の人々が住み着いていた海岸地域は、浜言葉といういわゆる東北弁に近い言葉が話されていた。しかし、全国各地からの開拓者によって開かれた内陸地域の人々の言葉遣いを笑うと、彼らはきっと「ナニ、この言葉のどこが北海道弁だってサ?」などと答える。北海道人らしい冗談だろう。でも、ほとんどの北海道人は他人から言われるほど自らの北海道訛りを自覚してはいない。それほど北海道弁は標準語=共通語に近い。違いといっても、語尾や感嘆詞や幾つかの単語などに特徴があるだけだ。
そんな北海道弁が成立していく背景には開拓の歴史があるのだと思う。まず、全国から異なった歴史を背負い、言葉も異なる者たちが集まればこそ、共通の言葉を使う必要があったのだろう。さらに、「~でないかい?」とか「~だもネッ」あるいは「~だべサ」などという「北海道弁」独特のやわらかな語尾の表現は、「他者への強い否定」や「異質性の排除」を強める表現をできる限り避け、共感と共同性を求めていこうという、開拓地ならではの言語感覚が人々の中に養われていった結果ではないだろうか。それは厳寒の開拓地で異質な文化を背負った開拓者たちが共に生き延びていく智恵だったのではないか。
入植は出身地域単位になされたにしても、やがて中・四国や北陸や東北など日本全国の出自を異にする者たちが出会う。厳寒の開拓地では助け合わねば自らの生存も危うかった。誰にも守るべき現在などはない。退路を断った者たちに与えられているのは原野という未来の広がりだけだった。ヨシの屋根を立掛けただけの拝み小屋で風雪をしのぎながら、自分の家族だけでなく後から来る者のための食糧を保存し、共に未来を夢見ようとした。生き延びるためのギリギリの極限状況に立ち、互いの異質性を自覚し認め合えばこそ「他者に対する寛容性」を育てていったのではないだろうか。
やがて、困難な時代を経て人々は安住の場を得ていく。開拓の記憶を残した末裔たちも、失うべき物を所有した瞬間から失うことを恐れるようになる。内に向かう共同性はともかくも、かつての開拓者が生き抜くために持たざるを得なかった他者に対する寛容の力を失っていく。異質な者との共同の中で未来を創り上げていく力や優しさや想像力も見失っていく。
ただ、産み付けられた場所でその歴史に安住し、自らに与えられているチャンスや役割や責務の大きさに気付かぬまま、被害者意識とその怨念の炎を燃やし続け、現在の権利(利権)を守ることに汲々とする。我々はそんな存在になってはいないか。
農業界に限らず、歴史は確実にその次の新しいステージに入っているのだ。もう過去の結果に過ぎない現在にしがみ付いていられる時代ではない。
そして、現代の開拓者たちは、未来という想像力の原野に開墾の鍬を下し始めているのである。まだ見ぬ新しい歴史に向かって、あの異質性への寛容と共同性を取り戻しながら、食に係わる全ての業界人が食べる者のために理念を共有しその責務を果たすべき時代なのである。
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