編集長コラム | ||
それでも“シャチョー”と呼ばれたいか? | 農業経営者 3月号 | (2001/03/01)
事業経営には生業、家業、事業という形態の違いや発展過程がある。また、事業の永続的発展と成長を考えるならシステムの問題として法人化や株式会社化が望ましいのは言うまでも無い。でも、それはそれぞれの法人化(しないことを含めて)の目的や都合を考えればよいだけで、ましてや「生業」より「事業」、「個人経営」より「会社」、あるいは「一家の主」より「社長」の方がエライわけでは断じてない。事業規模を拡大させるに伴って自覚的にも他者の目においても社会的責任が重くなるというだけであり、その本質は何も変らないのだ。
もちろん、税法上の問題、取引先との関係、金融機関の信頼や資本の調達、事業継承や人の採用等々、農業経営を法人化するメリットは多々ある。でも、単に人にそそのかされて法人化のメリット・デメリットを秤に掛けている人なら、あなたには「会社」を作る前に考えるべきことがあるのではないか。会社は利益を追求する手段であるとともに、社会に向けて必要とされる存在を自らの責任で生み出すことなのである。これまでのように多くの農民が気付いてすらいない「農家であるという利権」にあぐらをかき「権利」を主張することではなく、世間では当たり前の事業経営者としての「責任」を果たすということなのだということを。単に税負担を安くするために“法人成り”することでは済まされないのだ。あなたはそれでも“シャチョー”と呼ばれたいか?
もうそんな時代ではない。今や、人々は企業や会社の意味をあらためて問い直しているのである。その存在理由や役割を。企業が社会に向けて提供する商品やサービスが顧客の支持を受け、それ故に売上が伸び、利益が上がる。それを通して株主に配当をして労働者の生活を守る。そしてその利益の中から税金という形で国家や自治体への責任を果たす。そんな古典的な意味での企業や会社の役割を果たすだけの会社で良いのか、と。それは、社会的に影響力の大きな大企業だけの問題としてではない。大小にかかわらぬ企業経営者たちだけでなく、そこで働くひとり一人の職業人たちが、利益の追求だけでは語り得ない会社と己れの存在理由や責任やそれを行うことの意味を自問し始めているのだ。その上で必要とされる存在でなければ存続できないという危機感と共に。
そんな現代の日本においてであればこそ、農業で会社を経営する者ならではの責務と誇りについて思いを巡らすべきではないか。会社にするから顧客や後継者や若者が寄ってくるのではない。利益は大きければ大きいほど良いだろう。しかし、それは結果であり未来への手段に過ぎない。そこで得られる利益に対する健康な欲望を含め、その事業を通してあなたが果たそうとする夢の大きさやその仕事に対する誇りの有無こそが問題なのではないだろうか。
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