編集長コラム | ||
わが友としての農業経営者に | 農業経営者 5月号 | (2001/05/01)
【「農業経営者」編集長 昆 吉則 -profile
】
今を暗く語る君がいる。もし、道を見出せないような闇の中にいたとしても、君は人々の語る後ろ向きの流行り言葉に流されるべきではない。
君が経営者たること、誇りある職業人たることを自負し、男として、女として、夫、妻、父、母として、家族や仲間への責務を自覚する者であるなら。
今が安穏に過ごせる時代でないことは事実である。でも、今までの君がたまさかの幸運に恵まれていただけに過ぎないとは考えられないか。これまでの君が、小さな村(あるいは会社や家族)の中だけで通用するお山の大将を演じてきただけであり、その砂山が歴史の胎動で崩れつつあることに怯え、身をすくめているだけではないのか。餓える怖れのない社会にいることで、我々は生きることへの根本的な問いを見失っているのではないか。自らの意思とはかかわりなく誰かに道を与えられ、主体のない人生を消費し、それに浮かれて来ただけではないのか。
困難に見える現在こそが、正味の人生なのである。
今は、臥薪嘗胆して淡々と経営や生活の防衛に専念する者もいるだろう。時には挫けることも、気鬱の中で悶々とする日もある。また、撤退の道を選ぶ者もいるかもしれない。
よいではないか。それも一つの勇気ある選択なのである。疲れたのなら、休めばよいのだ。人生を諦めることさえなければ。
でも、環境の厳しさを嘆き、時代の暗さに怯えた言葉を語って何が得られるのだ。被害者意識から何が生れると言うのだ。君がそう振舞うことは、未来を託す子供たちや後に続く者たちの精神を萎えさせるばかりでなく、彼らの人生を徒労感から始めさせる大きな罪を犯すことでもあるのだと思え。
我々は後に続く者に残せるものなど何もないのである。もし、残すべき価値あるものがあるとするなら、それは我々が「誇り」を持って生き続けたという事実だけだ。
仮に、彼らの考えることも歩む道も違ったとしても、また、今はまだ君を理解できず離反して行く時があったとしても、彼は君の誇りに自らを励ます時が来るだろう。それでよいではないか。
だとすれば、今、我々が歴史の奔流に弄ばれているというのなら、その嵐の中に上げ潮や追い風を見出すことが我々の責務だと考えよう。義務を果たす対価として権利を要求する者としてではなく、自らの責務を果たすことの誇りを対価として生きる者として。その中でこそ健康な欲望を追求しようではないか。そんな時だからこそ「戻し続ける」勇気を持とう。
「弱肉強食」を語る論理は嘘である。強い者が勝つのではなく、必要とされる者が選ばれるのだ。君には君の、その人に合う経営と生き方があって良いのだ。市場社会という「お客様」に試されて、歴史と自然と社会という「お天道様」に裁かれる勇気を持とう。そして、それしかないのだ。
むしろ、暗い闇のなかであればこそ、白昼には気付くことのできない小さな灯りを見出すことができるはずだ。
目を凝らしてみよう。その小さな灯りを見失うことがなければ、それは少しずつ輝きを増していく。そして、その灯りに慣れたころ、その光を反射するかのように君自身が発する輝きに気付くはずだ。
『夢』を見る。そしてそれを語ることを通して自らの未来は明るく照らし出されていくのだ。
困難な時代であればこそ、それをチャンスとして生きようではないか。そんな時代に内なる未来への夢をふくらませ、それを人生の楽しみにできる幸運に感謝しようではないか。我々の人生は一回しかないのだから。
今は、臥薪嘗胆して淡々と経営や生活の防衛に専念する者もいるだろう。時には挫けることも、気鬱の中で悶々とする日もある。また、撤退の道を選ぶ者もいるかもしれない。
よいではないか。それも一つの勇気ある選択なのである。疲れたのなら、休めばよいのだ。人生を諦めることさえなければ。
でも、環境の厳しさを嘆き、時代の暗さに怯えた言葉を語って何が得られるのだ。被害者意識から何が生れると言うのだ。君がそう振舞うことは、未来を託す子供たちや後に続く者たちの精神を萎えさせるばかりでなく、彼らの人生を徒労感から始めさせる大きな罪を犯すことでもあるのだと思え。
我々は後に続く者に残せるものなど何もないのである。もし、残すべき価値あるものがあるとするなら、それは我々が「誇り」を持って生き続けたという事実だけだ。
仮に、彼らの考えることも歩む道も違ったとしても、また、今はまだ君を理解できず離反して行く時があったとしても、彼は君の誇りに自らを励ます時が来るだろう。それでよいではないか。
だとすれば、今、我々が歴史の奔流に弄ばれているというのなら、その嵐の中に上げ潮や追い風を見出すことが我々の責務だと考えよう。義務を果たす対価として権利を要求する者としてではなく、自らの責務を果たすことの誇りを対価として生きる者として。その中でこそ健康な欲望を追求しようではないか。そんな時だからこそ「戻し続ける」勇気を持とう。
「弱肉強食」を語る論理は嘘である。強い者が勝つのではなく、必要とされる者が選ばれるのだ。君には君の、その人に合う経営と生き方があって良いのだ。市場社会という「お客様」に試されて、歴史と自然と社会という「お天道様」に裁かれる勇気を持とう。そして、それしかないのだ。
むしろ、暗い闇のなかであればこそ、白昼には気付くことのできない小さな灯りを見出すことができるはずだ。
目を凝らしてみよう。その小さな灯りを見失うことがなければ、それは少しずつ輝きを増していく。そして、その灯りに慣れたころ、その光を反射するかのように君自身が発する輝きに気付くはずだ。
『夢』を見る。そしてそれを語ることを通して自らの未来は明るく照らし出されていくのだ。
困難な時代であればこそ、それをチャンスとして生きようではないか。そんな時代に内なる未来への夢をふくらませ、それを人生の楽しみにできる幸運に感謝しようではないか。我々の人生は一回しかないのだから。
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