編集長コラム | ||
もう一度「問うべきは我より他に無し」 | 農業経営者 6月号 | (2001/06/01)
自民党の過半数割れにともなって成立した非自民七党一会派の連立による細川政権(1993年)や自民・社会両党が新党さきがけを巻込み社会党委員長を首班とする自社さ連立政権の誕生など、いわゆる「55年体制の崩壊」といわれた一連の「政権交代」劇よりも、それははるかに大きく深い意味を持つ日本人の意識の変化を示す事件ではないだろうか。
今回の地方自民党員の行動は、出口無しの不景気の中で(むしろそうであればこそ)退路の無い現在を直視し、自らの痛みを承知の上で(「自己責任」において)「利権誘導の政治」から脱却する地方自民党員の意思を示したものなのではないだろうか。
戦後の日本人を動機付けたものは飢えからの開放であり、平和と豊かさへの希求であった。やがて、日本は奇跡と言われた経済復興を果たしていく。さらなる成長への願望とその成功体験は、成長の永続を信じて疑わぬ「成長神話」の盲信へと日本人を導いた。
日本人が求めたのは突出した個人の自己責任による成功ではなく、集団や組織(むら)への強い帰属意識を持つ人々が力を合わせる成功だった。真面目でさえあればその成果は平等に分配された。農耕民族的背景に加えて「成長信仰」を共有する日本の社会で力を持ちえたのは、相手をねじ伏せる強権を発動する者ではなく調整と妥協による「落とし所」を心得た親分やフィクサーたちであった。そして、官僚システムと一枚岩となった自民党、それと対立しつつ本質的には自民党を補完し互いにもたれ合いながら一面の役割を果たしていた社会党との「55年体制」。その関係は対立による政治の均衡というより、まさに「話せば解る」日本的な「むら」の論理そのものであった。
日本の成長と発展は、米国の保護の下、こうした日本人の精神風土を土台にして、優れた官僚たちのリードによって計画された大胆な公共投資や補助金政策の実施によってこそ勢い付けられたものであった。しかし、日本人やその社会が餓えの怖れから開放され、さらには経済大国となり「欠乏」ではなく「過剰」が社会的病理の原因として意識される様になった後でも、公共投資と補助金のばらまきを前提とした官僚による強力な指導・管理体制は続いた。かつては国民の勤勉さや創造的エネルギーへの励ましとなり景気浮揚にも有効に機能した補助金や公共投資も、やがてさしたる経済効果を持たなくなるばかりか、「利権」にすがる競争力の無い産業界や農業を温存させることになっていった。
自らの健康な欲望と理想を実現するために自己責任と誇りによって未来へチャレンジする日本人は少ない。悪平等と調和を乱す異分子を排除しようとするこれまでの日本社会の精神風土が、若者の変革への意思を萎えさせ、人々の挑戦的な取り組みにブレーキをかけてきたからだ。あえてそれに取り組もうとする者を排除してきた結果が今日の日本の停滞なのである。集落や自治体、農協、企業や業界団体、労働組合や政党、学会やマスコミ界、等々、日本のありとあらゆる「むら」でそれが起きているのだ。
自民党とは「日本人の本音」を代弁してきた政党であり、その意味で自民党員とは良くも悪しくも「日本人」そのものなのである。だからこそ、今回の投票行動を演じた「自民党員(=日本人)」そして僕自身に向かって確認したい。
ただ支持する政治家に一票を投じることだけで今日の閉塞状況を改革できるものではない。ましてやTV画面に登場する「正義の味方」であるコイズミやマキコに「悪役」としてのハシモト派や「ゴマの蝿」のような野党のイジメを見て判官ビイキをしていてもしようが無いのだ。
すでに、権利の対価として与えられる義務に忠実なだけでは済まされない。我々が選ぶべき道は、一人ひとりの国民が、それぞれの「むらの論理」から自由になり、「自己責任」において自らの健康な欲望を追求し、同時に自らの誇りの証しとしてそれぞれの生きる場で責務を果たしていくこと。ただ、それだけのことなのだ。政治家や官僚や指導者たちを問うことだけで未来は開かれない。問われるべきは我々の生き方なのであり、自らの痛みを怖れぬ未来への挑戦なのである。
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