編集長コラム | ||
大欲は志に通じる | 農業経営者 9月号 | (2001/09/01)
むかし、茨城県牛久市の高松求氏のお宅に通いつづけていた頃、高松氏はそう言った。
当時(1990年頃)、高松さんは自分で借りた畑を4人の農家で使いまわしにする交換輪作を行っていた。地代は等分に負担する。高松さんはその畑でダイコンやミシマサイコ、ラッカセイなども作っていたが、稲麦を基幹作目とする高松さんの作付けの中心は麦と大豆だった。他の三人はゴボウ、サトイモ、サツマイモ、ハクサイその他の野菜。
畑を工面し、各人の作付け計画を聞いて土地を割り当て、段取りをする。それで、面積当りの売上げは他の人の方が大きい。高松さんが他の人を呼び込むことで始まった交換輪作だが、参加した野菜農家の人々は「高松に悪いようだナ」と笑って話していた。
交換輪作の意義を語り、新しい技術を薦め、相手の実利で人を引っ張っていく。それだけではない。機械や種苗メーカーに働きかけて自ら地域の研究会を開く。自らの要求というより共に歩もうとする者のために新たな機械投資をする。さらに、農業や農家であることの可能性を語りながら、仲間の農家たちを励ますことへの協力を、僕や農文協の編集者たちに求め、また、それらの人々への気遣いをした。それは奥様への負担を増したはずだった。でも、そのための時間も作業も惜しまない。目先の金勘定をしたら高松さんは損をしているように見えた。
しかし、高松さんはこう言った。
「人は収穫に目を奪われがちだけど、農業の本質は戻すこと、それも戻し続けること。収穫はその結果 であり未来への手段に過ぎない」 「誰でも組めるわけではない。自分がいることで相手が得をする目線の揃う異業種の人と組むことが大事なんだ」と。
高松さんが語る「農業」という言葉を、農業専門の広告代理業者である僕は「経営理念」とか「人生」と言い換えながら聞いていた。 僕がご迷惑も考えず高松農場に入り浸っていたのは、人々がまだバブルの酔いから抜けきれてはいない時代だった。でも、高松農場に案内した様々な人々の多くが、その言葉と畑や家の廻りの景色に表れた仕事に感銘を受けていた。その中には様々な業種の企業経営者たちもいて、ある外食業の経営者は、 「自分の企業の売上がどれ程大きかろうが、それは業種の違いに過ぎない。むしろアメリカのチェーンストアの理論を受け売りして、時流に乗っているだけの多くの企業経営者のどれだけが、高松さんのような文字通り地に足のついた経営理念を持ち得ているだろうか」と話していた。
高松さんのご子息はお医者さんになり農業としての後継者は得られなかったが、引退したといいながら、研究者や地域の若者たちにその哲学を伝えながら堂々とした余生を送られている。僕は、その後もたくさんの優れた農業経営者や企業経営者に出会ってきたが、成功者に共通する原則を高松さんを通して見てきた。
人生も経営もやはり一つの賭けである。しかし、その面白い綱渡りの綱を未来を見つめながら渡っていく時、常に見失ってはいけない指針というものがあるような気がする。
それは、損得で考えるのではなく必要とされる自分をイメージすること。必要とは十分である必要は無く、足りればよい。そして、過剰は害である。さらに、人は欲が足りないから奪うことしかできない。そして、自ら選んだ事ならば世の中に損なんて無いのだ。我々が損をしたと思うのは、我々自身が行ったことの結果を自らの得(そして徳)にすることができなかっただけなのである。
大きな変化の過程にいる現在のような時代、あるいは困難や迷いの中に居る時こそ、我々はそれを見失ってはいけないのだ。
高松さんのこの話を、僕が尊敬する緒方知行氏(雑誌「2020AIM」主幹=オフィス2020発行・電話03-3584-1211)に話したら「大欲は志に通じる」と教えていただいた。
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