編集長コラム | ||
総天然色立体画像で見る世の中 | 農業経営者 12月号 | (2001/12/01)
【「農業経営者」編集長 昆 吉則 -profile
】
「セーフガードに賛成ですか、反対ですか?」と問う人がいる。「白か黒か?、イエスかノーか?、さあ、どうする、お前の答えはどっちなのだ?」
どうも近頃の世間は「白か黒か」と二者択一な答えばかりを求める風潮になっている。そして、人々の思考パターンや物事を見る眼すらもそうなってきているように感じる。
考えてみよう。我々が生きているのは文字通り総天然色オールカラーの世界である。白と黒だけでなく、赤も青も黄色も、それらを掛け合わせれば緑や紫や橙色にもなる。さらには金色、銀色とそれらの組み合わせや濃淡によって限りない多様性のある世界に我々は生きているのだ。それを無理矢理に白か黒かに二分してしまうのは何故?貴方の目では白黒二色しか認識できないのですかと言いたくなる。
それは、問いかけてくる人の頭の中に切羽詰った「白か黒か」の答えしか用意されていないからではないだろうか。そして、そんな人々の議論で危惧すべきなのは、その結果 より根本的な問題から人の目をそらせてしまうことである。
セーフガードの発動もそれで本当に日本農業を守ることが出来ると言うのならやれば良い。
しかし、今さらとは思わないだろうか。これまで我々農業人は何をしてきたと言うのだ。米問題の不毛な白黒議論にうつつを抜かして、国民の消費スタイルや市場要求の変化に注目せず、これだけ海外からの輸入品や他産業の発展の恩恵に預かりながら、なおも自らは自己改革の努力を怠り、鎖国し時間が止まったかのような農業ムラの中で相変わらずの被害者意識から権利要求ばかりを繰り返してきたのではないのか。
この雑誌を創刊する前に、何を勘違いをしたのかある県の農協青年部の集まりの講演に呼ばれたことがある。当時は、国内輸出産業の輸出増大が海外からの農産物輸入圧力を助長しているとかの頓珍漢な論理で、農協組織が代表的な国内輸出企業の製品の不買運動をするという漫画を演じていた時代だった。そこで「本当の敵は別 のところに、そして皆の中にいるのではないか」と恐る恐る話したのだが、講演会場はシーンとし、受けぬ どころかかなり気まずい雰囲気であった。そして、お定まりの講師を囲んでの懇親会では「月夜の夜ばかりじゃないぞ」と、真面 目そうだが脳味噌が筋肉でできているのではないかと思える青年に恫喝されたのを覚えている。
その青年だって、多分、今では日本という国の経済が農業以外の産業の発展とその輸出によって保証されている事実を否定はすまい。さらに言えば、農家とその行政・農協関係者や僕を含めた関係業界人の生活もその上にこそ成り立っているのであり、農業の成長は他産業の成長が在ってこそ可能なのだということも。
日本農業は外圧に滅ぼされているのではなく、安楽さの中で自滅への道を歩もうとしているのである。その青年に僕が恫喝された時代には、野菜の輸入増大問題など、まったく話題にはされていなかった。というより、今や野菜まで大量 に輸入せざるを得ない日本農業に成り下がってしまったと言うべきなのだと僕は思う。しかも、国内産より品質の高い野菜を。
僕は野菜輸入がある程度の状態にあることを不自然なことだとは思わない。むしろ、それが日本の農業経営者の発憤材料になればと思うぐらいだ。
セーフガードの対象になる野菜需要とは主に外食業の需要に合わせた物である。外食業では一年中同じメニューを提供するために安定的な食材調達を必要とする。そして、そうした外食業は国民に必要とされているからこそ成長し、その結果 としての野菜輸入の増大が国内の野菜生産に打撃を与えていることも確かである。
しかし、それ以外に農産物の市場は無いのか?貴方が暮らすその場所や、様々な出会いを求めることの中で、新しいお客さんは本当にいないのか?
我が農業界は、そして野菜の値が下がるとボヤク貴方は、野菜を売ることに、新しい顧客を見出すことに、そして様々な人々との農産物市場開発をすることに努力をしてきたと、自信を持って言えるのか?
我々経営者は、結局のところ政治家や役人たちの居場所づくりの手段にしかならぬ セーフガードの本格発動をするか否かと言うような議論に夢中になるより、自ら、あるいは食べる人のために働く人々と共に新しい顧客を見出し、新しい農業経営の可能性を開くことに力を注ぐべきである。
きっと、庭先販売や直売所で一所懸命に野菜を売るバアチャンたちの目には、きっと白黒ではなく、総天然色で映し出されるお客様の顔が見えているはずだ。
セーフガードの発動もそれで本当に日本農業を守ることが出来ると言うのならやれば良い。
しかし、今さらとは思わないだろうか。これまで我々農業人は何をしてきたと言うのだ。米問題の不毛な白黒議論にうつつを抜かして、国民の消費スタイルや市場要求の変化に注目せず、これだけ海外からの輸入品や他産業の発展の恩恵に預かりながら、なおも自らは自己改革の努力を怠り、鎖国し時間が止まったかのような農業ムラの中で相変わらずの被害者意識から権利要求ばかりを繰り返してきたのではないのか。
この雑誌を創刊する前に、何を勘違いをしたのかある県の農協青年部の集まりの講演に呼ばれたことがある。当時は、国内輸出産業の輸出増大が海外からの農産物輸入圧力を助長しているとかの頓珍漢な論理で、農協組織が代表的な国内輸出企業の製品の不買運動をするという漫画を演じていた時代だった。そこで「本当の敵は別 のところに、そして皆の中にいるのではないか」と恐る恐る話したのだが、講演会場はシーンとし、受けぬ どころかかなり気まずい雰囲気であった。そして、お定まりの講師を囲んでの懇親会では「月夜の夜ばかりじゃないぞ」と、真面 目そうだが脳味噌が筋肉でできているのではないかと思える青年に恫喝されたのを覚えている。
その青年だって、多分、今では日本という国の経済が農業以外の産業の発展とその輸出によって保証されている事実を否定はすまい。さらに言えば、農家とその行政・農協関係者や僕を含めた関係業界人の生活もその上にこそ成り立っているのであり、農業の成長は他産業の成長が在ってこそ可能なのだということも。
日本農業は外圧に滅ぼされているのではなく、安楽さの中で自滅への道を歩もうとしているのである。その青年に僕が恫喝された時代には、野菜の輸入増大問題など、まったく話題にはされていなかった。というより、今や野菜まで大量 に輸入せざるを得ない日本農業に成り下がってしまったと言うべきなのだと僕は思う。しかも、国内産より品質の高い野菜を。
僕は野菜輸入がある程度の状態にあることを不自然なことだとは思わない。むしろ、それが日本の農業経営者の発憤材料になればと思うぐらいだ。
セーフガードの対象になる野菜需要とは主に外食業の需要に合わせた物である。外食業では一年中同じメニューを提供するために安定的な食材調達を必要とする。そして、そうした外食業は国民に必要とされているからこそ成長し、その結果 としての野菜輸入の増大が国内の野菜生産に打撃を与えていることも確かである。
しかし、それ以外に農産物の市場は無いのか?貴方が暮らすその場所や、様々な出会いを求めることの中で、新しいお客さんは本当にいないのか?
我が農業界は、そして野菜の値が下がるとボヤク貴方は、野菜を売ることに、新しい顧客を見出すことに、そして様々な人々との農産物市場開発をすることに努力をしてきたと、自信を持って言えるのか?
我々経営者は、結局のところ政治家や役人たちの居場所づくりの手段にしかならぬ セーフガードの本格発動をするか否かと言うような議論に夢中になるより、自ら、あるいは食べる人のために働く人々と共に新しい顧客を見出し、新しい農業経営の可能性を開くことに力を注ぐべきである。
きっと、庭先販売や直売所で一所懸命に野菜を売るバアチャンたちの目には、きっと白黒ではなく、総天然色で映し出されるお客様の顔が見えているはずだ。
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