編集長コラム | ||
「外食」世代が中心になる時代の農業 | 農業経営者 2月号 | (2002/02/01)
「ところで、外食するというのはハレ(特別の日)だよな」と問うた僕に
「イヤ、違いますよ。外食はケ(日常)であり、少なくとも独身の僕にとっては家でご飯を食べることこそハレですよ」と彼は言うのである。
今時の小洒落たレストラン等という格好の良いものではない。昭和20年代後半から東京の子供であった僕が、母親に連れられてデパートの最上階の食堂で食べたソフトクリーム。兄のお下がりであっても"よそ行き"の服に着替えさせられ、電車に乗って都心のデパートに行くことは、少し育ちが良さそうに言えば"お出かけ"であり、今で言えば何のことはないソフトクリームを食べることは、僕等にとって文字通 りハレ(非日常)の体験であった。今の子供たちなら、「そんなの付き合ってられないよ」と鼻で笑うところだろう。当時のデパートには、階段や店内の各所に宣伝用のチラシが積み重ねて置いてあった。僕たち兄弟にとっては、店員の目を気にしながらも、それを集めてくるのが楽しみでもあった。子供が自由になる紙など無かったからだ。
育ってきた世代ゆえに、僕は「外食」=「贅沢」という決め付けをしてしまい、すでにそれが都市の単身者の多くにとって、日常の「給食」の場としての機能を果 たしていることを気付こうともしなかったのだ。外食企業の人々と親しく付き合っていながら。
言われてみればすぐに納得することを含め、人々の認識や思い込みとはそういうものなのである。それが、様々な誤解を生み、自らの判断も誤らせるのである。
今月の特集を読んで、「農業経営者」はフードビジネスの雑誌になったのか、と言う読者もおられるかもしれない。でも、現在の取引相手が誰であれ、フードビジネスの動向を無視して農業の経営を考えることは、いかにも乱暴なことなのである。それが、大きなバイイングパワーを持つ需要者であるという理由だけでない。現代において、彼等が作る食文化や食習慣が日本人のそれを左右しているからだ。
パン食か米飯か、料理の種類やそこで使う食材の変遷。一方ではかつては高い値段で売れた伝統の食材が失われていったかもしれないが、昔は見たこともない作物を作っている人も多いはずだ。さらに、現代人の労働形態や生活の要求からフードビジネスは様々な業態の「食」の提供をするようになっている。
今月の特集である「惣菜」についても、かつての肉屋さんで売っていたコロッケ(そういえば『今日もコ~ロッケ~』という歌もあった)や下町に昔からあった経済性や手軽さで喜ばれた惣菜店だけではなく、文字通 り高級感や特別の食材を使った惣菜というものが客を呼ぶ時代になった。
また、レシピを付けて、半調理した夕食材料を宅配するというビジネスも人気を博している。また、そういう企業から宅配用の果 物や野菜を提供して欲しいという要請が、農通インフォマートへも多数寄せられている。
生産者としての農業経営者が消費者に直接接しているフードビジネスとの関係性を深めるべきだと本誌は提案してきた。フードビジネスと言っても、それは誰もが知っているファーストフードのチェーンばかりを考える必要はない。あなたの町にある生業レベルのラーメン屋さんや蕎麦屋さんや様々な食堂も、現代の「食」の重要な担い手なのである。"食べる人"のために生産者と食の職業人は一緒になって仕事を、そして未来を作り出すべきだと申し上げているのだ。さらに、現代のフードビジネスは、あらためて伝統の食事や食材への関心を高めている。それは、農業からの提案を活かし易い時代ということでもあるのだ。 食文化とは極めて保守的であり、一度刷り込まれた食文化を持つ人間はなかなかその食習慣を変えない。そして、前述のような"思い込み"というものもなかなか頑固なものなのである。
我々の多くは、"食事は母親が家で作る"というのがあたりまえに育った世代かもしれない。でも、まな板や包丁の無い家庭もやがては珍しくなくなるだろうという時代に我々は生きている。その時、農業は何を求められるのだろうか。
そして、これは疑いようも無い事実である。これからの「食」の需要者とは、現在の外食文化、惣菜文化、給食文化の中で育っている子供たちなのであり、すでに30歳代の日本人とは、まさにその外食文化の中で育ってきた世代なのだということを農業経営者たちは肝に命ずるべきである。
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