編集長コラム | ||
日本バンザイ、韓国バンザイ! | 農業経営者 7月号 | (2002/07/01)
スタッフはこういうことを書くな、と言うのだが、何がいけないのだ。なんといわれようともそれは気持ちが良く胸が熱くなるのは僕だけではなるまい。むしろ、国旗や国歌を愚弄するような教育に熱心な一部の教師やマスコミの人々は、今、どんな顔をしているのだろう、と言いたくなる。
何を隠そう、僕は日本サッカー協会が日本蹴球協会と呼んだ時代、東京オリンピックで初めて芝生のサッカーグラウンドが出来た時代にサッカーをやっていたのだ。
高校一年の10月に東京オリンピックがあり、そこで国会議員になった釜本氏、すでに監督としても過去の世代になってしまった森氏や先頃亡くなった杉山氏といった人々が活躍し、それを期に一学年ではとても1チームを作れなかったサッカー部がどこの学校でも一気に部員を増やした時代の人間なのだ。その後、メキシコ・オリンピックで銅メダルを取る快挙を上げたが、所詮オリンピックには一流選手は出てこない。とはいえ、まだサッカーはマイナースポーツであった。 僕などはマイナースオーツに熱を上げることに粋がりを感じていた節もある。想像の通 りサッカーの能力は高くはなかったが、ただひたすらに“根性”に生き、また仲間にその檄を飛ばす中心人物であったのは、今の僕につながっているかもしれない。
文化祭では部員獲得のために、日本蹴球協会を訪ね海外の写真を借りてきて、文化祭でサッカーがいかに世界的なゲームであるのかを展示したりもした。
「いいか、その証拠にワールドカップの試合に負けるとな、人々が悲憤慷慨し、さらには国同士のいざこざに発展したりする程なのだゾ」などと先輩の受け売りを唾を飛ばして叫び、サッカー部の展示コーナーに来てくれた女の子に、逆に遠巻きにを避けられたりもした。それでも負け惜しみで「お前等の注目は受けなくても俺たちはやるのだ!」と粋がっていた。
その反動で僕の場合、Jリーグができて日本でサッカーブームが起きたたころには何だか、そこには自分の居場所がないような気がして、むしろサッカーとは遠ざかっていた。
それが、スター選手を除けば選手の名前すら知らないほどだった僕が、今回のワールドカップで、一気に先祖帰りをしてしまったのだ。
そんな時代を共有しているの当時のサッカー仲間たちも同じだった。日本チームが勝ち進むと、用もないのにわざわざ携帯にメール、喜びの声を送ってきたりする。一度感染した病が再発するかのように、親父たちのサッカーメールが飛び交っている。
しかも、今回の日韓共同開催は人々の心のレベルで日韓の歴史を変えようとしている。我々日本人も韓国チームを、そして共同開催国となった韓国の人々も日本チームを、何の疑問を持たず自国のチームであるかのように手に汗を握って応援した。提携関係にある韓国の「農耕と園芸」誌のスタッフなどは、頭はもう完全にサッカー一色状態で、韓国チームが頑張っている以上、当分は仕事の連絡は付きそうにない。そんなことより日本は敗退したにせよベストエイトに勝ち進んだ韓国を応援しようというのが、今の我が社であり筆者なのである。
ところで、そんな関係が出来ている韓国の農業経営者たちと本誌の読者たちがお互いの競争的共同関係を創り会合を持つとともに、園芸業界関係者の協力も得て、農業経営の視察だけでなく本誌読者が韓国の資材を調達するための韓国ツアーを読者に呼びかけたい。詳細は現在検討中であるが、ご関心のある向きはお問い合わせ願いたい。
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