編集長コラム | ||
旧農基法起草者たちの高い理想と誇りを今に想う | 農業経営者 8月号 | (2002/08/01)
イベント開催にあたって送られてきた取材案内には、国賓を迎えてのパーティー(というより成金の結婚式)か何かの様に大層な席次表まで付いている。小泉総理を筆頭に農水大臣や農水官僚のお歴々、そして会場提供と調理を受け持った高名なシェフを抱える某高級ホテルの料理長や支配人、それと関係が深いのであろう企業人の名前。しかも、記者席、カメラ席はここと断りが付き、取材に当たっての注意事項まで書き記されている。幾つかの報道はされたが扱いは小さかったようだ。
これはつまるところ国産食材愛用キャンペーンである。しかし、農水省主催でそんなことまでやる時代なのか。また、それでどんな成果が上がるのだろう。かつて、お米消費拡大キャンペーンというものがあったが、それにどんな成果があったのかを思い出してみるべきだ。
以前にも書いたが、日本での米消費を維持させた最大の功労者は、電気釜の開発と営業に心血を注いできた家電メーカーやその社員たちではないのか。お題目として米消費拡大を叫ぶ農水省や農業団体はどれだけそのことに注目してきたか。さらに、これからであれば電子レンジを使う“チンご飯”や電子レンジで食べられる商品開発に取組んでいる企業人の努力にこそ、農水官僚たちは支援と励ましの言葉を捧げるべきではないのか。そしてそれが現代の国産食材の利用拡大運動なのではないか。
“再生プラン”の前提となっている「食料・農業・農村基本法(新農基法)」の改正自体、旧農基法があまりにも時代にそぐわなくなり、現実の社会で起きていることを追認あるいはそれとの整合性を持たせるために変更されたに過ぎないものである。そして、それがこれからの日本国と国民のために起草された農業基本法と言うなら、あまりにも歴史や未来への洞察に欠けた理想の低い理念なき法改正であると僕は思う。
試しに、昭和36年(1961年)に施行された農業基本法をそれが起草された時代状況を踏まえて読んで見ればよい。1950年に始まる朝鮮戦争特需によりその後の高度経済成長の足がかりを得ていたかもしれないが、国民は皆貧しく敗戦の影が日本の社会に色濃く残っていた。そして、革命前夜を思わせた60年安保闘争を経て岸内閣が日米安保条約改定を果たし、それがあればこそ池田内閣が“所得倍増”という解りやすい言葉で国民や産業界に勇気を鼓舞した時代だった。
今それを読み返すと、当時の政治家や官僚たちには、国民に未来を示し、そのための理想を掲げる理念とエリートとしての誇りがあったことを感じる。しかしその高度経済成長路線や旧農基法の夢見た豊かさが実現されたと同時に、現代の社会や環境における“過剰”の病理ももたらしている。さらに、役割を終えた制度や行政システム自体がすでに国家経営に深刻な問題となっているのだ。だからこそ行われた基本法改正であり、進めようとしている行政改革なのである。
そんな時代状況の中にいる今の僕が40年前の旧農業基本法を読んで感じるごとく、40年後の人々は今回の農基法や“再生プラン”についてそれを起草した人々の理想や理念の高さを尊敬深く読むだろうか。ましてや、農水省主催でブランド・ニッポンのキャンペーンイベントをどう思うのだろう。
文字通りのスーパーエリートであった当時の政治家や官僚たちがせざるを得なかった、政策実行の細目に至るまでをリードする時代はもう終わったのだ。それが必要とされたのは当時の敗戦国日本が喰うや食わずの開発途上国であったからなのだ。現代の政治家や官僚は、むしろその役割を自ら限定的なものとし、であればこそより高い理想や理念を掲げ、国民を励まし、それを法として示すべきなのではないか。そして、現代において政治家や官僚を優れたエリートとして育てるのは、誇りと知性と自由な創造力を持った国民や産業人の責任なのである。
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