提言 | 視点 | ||
不安と嘘の連鎖は断ち切れるか | 農業経営者 5月号 | (2005/05/01)
特定のネタが使われ始めたのは、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故がきっかけだった。あの時は、輸入食品に含まれる放射能が問題となり、その後は農薬、ダイオキシン、環境ホルモンなどが次々と槍玉に上がった。
「絶対安全」が嘘の始まり
その流れの頂点が99年に爆発的に売れた『買ってはいけない』だった。多くの生協職員は、あの本の内容を真実だと思い込むほど愚かではないし、むしろ、知識がある職員なら「ラッキー」と感じたはずだ。それまで食の安全・安心にあまり関心がなかった多数の消費者にも不安が伝播すれば、商売につながるからである。
ただ、最近は混乱状態が落ち着き始めたと私は感じている。不安の「正体」がある程度見えてしまい、リスク評価の重要性も徐々に浸透してきている。マスコミも以前よりは抑制がきくようになり、消費者運動の影響力は弱まった。ネタとしてなんとか生き残っているのは、遺伝子組み換え作物ぐらいではないだろうか。
今後に向けての大きなポイントは、BSE(牛海綿状脳症)対策としての全頭検査の緩和だろう。国民の多くが「あんな無駄使いはやめよう」と言えれば進歩なのだが、自治体レベルでは全頭検査が続く公算が大きいと思う。
日本人には安全はお上が無条件に与えてくれるものだという意識があり、権力側はその要請に迎合する。本当は行政や企業が「絶対安全」と言った瞬間から、嘘と隠ぺいが始まるのだが、国民は、嘘をつかせているのが自分たちだとまだ気づいていない。
私が生協に務めていた頃の経験で言えば、農家も嘘をつく。(本誌の読者にそんな人はいないだろうが)。しかも、流通サイドの意に添うような、“善意”の嘘をつく。15年ぐらい前まで、「無農薬農産物」のほとんどがまやかしだった。陰でこっそり農薬をまいていても、悪いという認識すらなかった。
農家にも必要な当事者能力
また、栽培契約を平気で破る農家にもずいぶん振り回された。有能な人ほど、山っ気が多いと言うか、市場価格が高ければ、約束を無視して作物を市場に出していた。
言うまでもなく、これからの農家には、消費者と直接向き合う姿勢が必要となる。リスクを受け止める消費者の態度も大切だが、農業者も信用を大事にし、自立性と当事者能力をもつべきだ。食べ物の世界にだけは、なぜか国産信仰がはびこっているけれども、そこに根拠などないのだから。
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