編集長コラム | ||
「耕作放棄地なら貸してやるヨ」 | 農業経営者 6月号 | (2006/06/01)
前月号の記事をまとめるにあたって、耕作放棄地に関する「特定法人貸付事業」(農業特区)についての記述を読んで、農業界あるいは農水省の能天気さ(まさにこの表現が適切だと思っている)をあらためて感じた。
これでも、大変な難産の末に実現した企業の農業参入の道である。
現代の社会を見回してみれば、農業・農村には、産業としての多様な可能性とビジネスチャンスが存在する。であればこそ、本誌は農業界にある敗北主義を捨てるべきだと申し上げているのだ。だからこそ、多くの企業も農業に食指を動かしているのだ。
しかし、利権にすがり、現状に安住する方が得する農業の仕組みであるかぎり、日本中に宝の山になり得る耕作放棄が発生する一方で、農業コストが下がらないのではないか?社会主義日本農業の現実的経営者である農水省や現場管理者たる農協に経営能力がないゆえに、右往左往する農業の姿があるのではないか?
さらに、日本の農業が現在の市場社会の中で有効な役割を果し、農業・農村の活性化と農村での就業機会を増やしていくためにも、海外との競争にも打ち勝っていくためにも、企業の経営ノウハウや資本が必要とされているのではないのか? それも農業にとっては一刻の猶予もない緊急のテーマとして。
それにしても、なぜ農業界は企業の農業参入を忌避しようとするのだろうか。そもそも、農業生産ということに限定すれば、周辺事業には期待があったとしても、農業生産そのものへの参入は、大企業にはリターンが小さくリスクが大きすぎる。
にもかかわらず、企業が生産事業に関わろうとする(関わらざるを得ない)理由こそを農業人は考えるべきだ。
農産物の需要企業は、顧客の要望に応えようとすればこそ、品質管理や安定供給そしてコストの低減を考える、しかし、そのマーケットニーズを事業パートナーとしての農業界に求めても、それを理解しそれに応えようとする農業者があまりにも少ないからである。であればこそ、企業は自らリスクを背負ってでも生産に関与し、顧客の期待に応えようとしているのである。本来やりたくもないことを、やっているのだ。
「耕作放棄地なら貸してやるヨ」などという態度でいる農業界とは、助け舟を出している者に対して失礼なのではなかろうか。同時にそれは、自らの安楽死のために、日本農業の未来を犠牲にしようとしていることに他ならないのである。これを能天気というのは間違いだろうか。
「農業は消費者のためにある」は消費側に受けがいいように作られた表現かと思います。
実際我々から見れば農業とは「我々が食う為にある」のであって、その継続の為に消費者に受けが良い商材を生産する必要があるというのが基本原理でしょう。
商業でも工業でも経営する側はそれを当然の前提として理論を組み立てて行くのが普通です。
経営者向けの情報配信をするのであれば奇麗事でぼかしたりしないでその辺はっきりさせて言っていただかないと受け取る側としては釈然としないものを感じるのであります。