編集長コラム | ||
再検討要す北海道のGMO栽培規制条令 | 農業経営者 10月号 | (2006/10/01)
【「農業経営者」編集長 昆 吉則 -profile
】
本誌では、本年3月に約3万人の事業的農家を対象に、今後の農業経営の意向を聞く調査を行った。回答者約 2000名の意見をまとめ、先月号の特集としてまとめた。
その後、地域別の集計を進めるにつれ、さらに注目すべきデータを得た。特に注目したいのは、遺伝子組み換え作物(GMO)について、作付け規制条例がいち早くできた北海道と屋外栽培試験への反対運動が裁判にまで発展した北陸地域では、他地域よりも肯定的だという結果だ。
GMOについて「日本の農業にとって必要だと思うか?」という問いに対して「どちらかといえば必要」を含めれば、全国計では43.8%(北海道48.0%、北陸48.0%)の経営者が「必要」と答えた。自らの栽培意向についても「条件が整えば」を含めれば40.2%(北海道49.8%、北陸37.6%)が「栽培してみたい」という意向を持つ。
全国集計での43.8%(技術の必要性)および40.2%(栽培意向)という数字自体、筆者の想像を超えていたが、それを地域別に比較したところ、技術の必要性では北海道と北陸で全国平均より4.2ポイント高かった。さらに北海道では約半分の49.8%が栽培意向を持ち、全国平均を9.6ポイントも上回った。
条例が施行されて、人々にGM技術に関する情報が広まったことがその理由だろう。それに加えて、北海道こそGMOの導入が経営効果を持つ可能性が高いこともある。
一方、北陸では技術への評価が高いにもかかわらず、東北(33.6%)とともに栽培意向が少ない。稲作地域で、多様な育種が過去に進められており、切実感が薄いためか。今後の日本農業に大きな意義を持つ機能性目的の研究もあるのだが……。
GMOに関しての人々の関心や認識はまだまだ低い。その関心の低さが反対運動家たちの不安の扇動に人々が乗せられる理由でもある。しかし、この地域間での評価の違いは、科学的で冷静な情報が広まれば、人々の不安は解消されていくことを示している。
遺伝子組み換え技術は農業だけでなく日本の未来にとっても極めて重要な技術だ。米国では大豆の89%、綿の83%、トウモロコシでは61%がGMOだ。既に標準技術なのだ。
導入に伴うリスクは、当然、ゼロではない。であればこそ「リスク管理」の考え方が必要なのだ。そして、最後は起こり得るリスクと、もたらされる利益の損得を秤にかける。ラウンドアップ耐性大豆の利用は、結果としてラウンドアップ耐性をもった雑草を生じさせるかもしれない。しかし、農薬や除草剤の歴史とは耐性生物とのいたちごっこであった。交雑もないとはいえない。だから隔離や緩衝距離が設定される。でも、思わぬ交雑はGMOに限らない。
北海道での規制条例施行の後、現在、10の府県で規制条例が作られ、市町村レベルの条例作りも進んでいる。しかし、それらの多くは不安を煽る人々の言説に踊らされる「風評被害」を恐れたものだ。安心を担保することも必要だ。でも、科学的・合理的根拠を超えた、作らせないための条例もある。それが科学的根拠のない妥協の産物であるなら、我われの失うものはあまりに大きい。
そもそも農業とは本質的に環境破壊なのである。「自然にやさしい」などという自己欺瞞においてではなく、我われはもっと根源的に自然と人間存在や技術の関係を見つめ、そこから遺伝子組み換え技術のリスクと可能性を見つめるべきである。
全国集計での43.8%(技術の必要性)および40.2%(栽培意向)という数字自体、筆者の想像を超えていたが、それを地域別に比較したところ、技術の必要性では北海道と北陸で全国平均より4.2ポイント高かった。さらに北海道では約半分の49.8%が栽培意向を持ち、全国平均を9.6ポイントも上回った。
条例が施行されて、人々にGM技術に関する情報が広まったことがその理由だろう。それに加えて、北海道こそGMOの導入が経営効果を持つ可能性が高いこともある。
一方、北陸では技術への評価が高いにもかかわらず、東北(33.6%)とともに栽培意向が少ない。稲作地域で、多様な育種が過去に進められており、切実感が薄いためか。今後の日本農業に大きな意義を持つ機能性目的の研究もあるのだが……。
GMOに関しての人々の関心や認識はまだまだ低い。その関心の低さが反対運動家たちの不安の扇動に人々が乗せられる理由でもある。しかし、この地域間での評価の違いは、科学的で冷静な情報が広まれば、人々の不安は解消されていくことを示している。
遺伝子組み換え技術は農業だけでなく日本の未来にとっても極めて重要な技術だ。米国では大豆の89%、綿の83%、トウモロコシでは61%がGMOだ。既に標準技術なのだ。
導入に伴うリスクは、当然、ゼロではない。であればこそ「リスク管理」の考え方が必要なのだ。そして、最後は起こり得るリスクと、もたらされる利益の損得を秤にかける。ラウンドアップ耐性大豆の利用は、結果としてラウンドアップ耐性をもった雑草を生じさせるかもしれない。しかし、農薬や除草剤の歴史とは耐性生物とのいたちごっこであった。交雑もないとはいえない。だから隔離や緩衝距離が設定される。でも、思わぬ交雑はGMOに限らない。
北海道での規制条例施行の後、現在、10の府県で規制条例が作られ、市町村レベルの条例作りも進んでいる。しかし、それらの多くは不安を煽る人々の言説に踊らされる「風評被害」を恐れたものだ。安心を担保することも必要だ。でも、科学的・合理的根拠を超えた、作らせないための条例もある。それが科学的根拠のない妥協の産物であるなら、我われの失うものはあまりに大きい。
そもそも農業とは本質的に環境破壊なのである。「自然にやさしい」などという自己欺瞞においてではなく、我われはもっと根源的に自然と人間存在や技術の関係を見つめ、そこから遺伝子組み換え技術のリスクと可能性を見つめるべきである。