編集長コラム | ||
報道機関としての日本農業新聞を問う | 農業経営者 12月号 | (2006/12/01)
読者はすでにご存知の通り、11月号では4本の「集落営農」の関連記事を掲載した。それを伝えるべく、原稿を同紙に入稿した。ところが、「集落営農」推進に伴う経営者被害を伝える本誌の広告内容に対して、日本農業新聞は「集落営農」に関連させた「矛盾」「罪」「犠牲者」「貸しはがし」の4つの単語について「表現が好ましくない」との理由で変更を求めてきた。要求に応じなければ掲載を認めないという条件付きで。
本誌は同紙に対し、「断固拒否する。この記事が仮に事実でないというなら、事実でない根拠を日本農業新聞上で表明し、必要ならば抗議の声明を出すのが筋だ。どうしても広告を検閲したいのなら報道機関としての主義主張が残る形で行なってくれ」と伝えた。その回答が、黒塗りの広告改ざんである。しかも、集落営農問題を語った松岡利勝農水大臣のコメントまで、その意味を歪曲する削除まで行なっている。
最終的に本誌が黒塗り広告の掲載を認めたのは、その異常さに読者が意を汲むことを期待してのことだ。それと同時に、日本農業新聞が検閲した広告を掲載することで、報道機関としての同紙読者への背任を自ら露呈することになり、さらに同紙を含む農協団体としても組織の退廃がそこに示されると考えたからだ。
読者の多くは、北上での現地取材を元にした秋山基記者のルポルタージュを始めとする先月号の内容をご覧になっているはずだ。あの一連の記事が、どのような視点から見ても公序良俗を害するものでないことはご理解いただけよう。この日本農業新聞の振る舞いを、本誌は単なる報道の自由の抑圧などという一般論だけで片付けたくない。そのことが、昨年10月27日に決定された「経営所得安定対策等大綱」の中で、品目横断的経営安定対策の対象に、当初は想定されていなかった集落営農(特定農業団体)を加えることを強硬に主張した、農協組織の思惑につながっていることを伝えたいからである。
農協組織はコメあるいは水田農業(転作)に組織の基盤を置いている。品目横断的経営安定対策が、もとより農協離れの傾向の強い担い手層だけに集中すれば、農協はその存在基盤を失うことになる。したがって、農協界は、強硬に集落営農を対象団体にすることを自らの存亡を賭けて主張したのである。
日本農業新聞は大規模なシリーズ企画として集落営農を取り上げている。しかし、その問題点を一切語らないとすれば、農業を専門とする報道機関の名に値しない。同紙は、農協の機関紙だ。しかし、その立場は組合員たる農家や農業経営者の利害や将来を考えるメディアではすでにないのであろう。そこでは、農協組織の組織としての存亡こそが最優先の課題として語られているのだ。
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