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競争の世界に突き落とせ | 農業経営者 新年合併号 | (2007/01/01)
【住信基礎研究所主席研究員 伊藤洋一】
昨年11月、米国・アイオワ州のトウモロコシ農家に話を聞く機会があった。バイオエタノール関連の取材だったのだが、彼らは好奇心に満ち、革新的な経営マインドと自信にあふれていた。機械はもちろん、バイオ技術や金融についてもよく勉強していた。
農家たちが「お互いに競争している」と言い合っていたのも印象的だった。それぞれが常に相場を見ていて、収穫物をいつどこに売るかの最終判断を下す。つまり彼らは経営者かつ技術者、情報収集者で、相場師でもある。その意識の高さは、米国が世界に誇る自動車産業の経営者と比べても何ら遜色がない。ここに、米国が持つ競争力の源泉を見た気がした。米国も農業保護はしているけれど、保護に先立つ農家の自立がある。
いかに官を超えるか
日本の農業政策では、国が農家に「競争するな」と言い聞かせてきた。「みんなで同じことをしていれば、守ってあげますよ」というわけだ。事実、農家は画一的な農産物を作っていれば、それなりに生きてこられた。そうでなくても、兼業で十分な収入を得られた。
しかし、今後の財政事情からして、農業保護はもう続かない。はっきり言って米価が上がることはもうない。
日本農業を強くするためには、農家を競争の世界に突き落とすしかない。考えてみてほしい。自動車産業が育っていく中で、旧通産省は何か役割を果たしただろうか。ソニーが設立された時、国の指導があっただろうか。
見たところ、農水省はいまだに自分たちのエリア内でのみ農家を働かせようとしている。それは役所が仕事を失いたくないからだ。他方、農家も官のナレッジ(知識)ベースを超えようとしていないのではないか。だとしたら明らかに甘えだし、農業が遅れた産業である証拠だろう。
頭を押さえつけるな
「競争」と言うと、厳しく受け止める人がいるかもしれない。たしかに日本の農業は経営規模や機械化、システム化の点で劣っている。
しかし、この国の農家はおいしくて安全なものを環境に良い方法で栽培できる。すでに一部の高級品は、産地ブランドを超え、作り手の固有名詞で消費者と結びつき始めている。職人意識やもの作りの丁寧な気持ちは、間違いなく世界にも通用する。
そういう人たちの頭を押さえつけてはいけない。本当にやる気のある農家だけが、より広い農地を確保し、自分の経営感覚でテクノロジーを取り入れ、必要であれば外部の資本とも組んでいく。方向性としてはこれしかない。あとは、やるか、やらないか。それは個々の農家が考え、判断することだ。
(インタビュー・まとめ 秋山基)
伊藤洋一(いとう よういち)
1950年長野県生まれ。早稲田大学卒業後、時事通信社入社。ニューヨーク特派員、外国経済部デスクなどを経て住友信託銀行へ。総合資金部審議役などを歴任後、現職。各媒体への寄稿や執筆のほか、テレビ・ラジオのコメンテーターとしても活躍。専門はデジタル経済。近著『カウンターから日本が見える』(新潮社)では、独自の料理文化論を展開する。http://www.ycaster.com/