特集 | ||
リターンマッチに挑んだ農業経営者たち | 農業経営者 新年合併号 | (2007/01/01)
先月号の本誌特集は「農業経営から撤退する自由」と称し、農業経営者の退き際論をテーマにした。
様々な事情から農業経営を続けるべきかどうか真剣に悩んでいる読者に向けて、本誌なりのエールを送ったものである。
と同時に、この企画の裏側には「撤退する自由」もあれば「継続する自由」もある、という意味も込めたつもりでもある。
そして、今回の特集では困難に直面し、人生の岐路に立たされながらも、農業経営を「撤退する」ことではなく、あえて「継続する」という選択肢を自ら選んだ農業経営者たち、それぞれの人生を追った。
昨年以上に「再チャレンジ」のかけ声がけたたましく聞こえてくる新しい年を迎える中で、あなたは、リターンマッチに挑んだ3人の農業経営者の姿に何を感じるだろうか―。
数億の負債を完済できたのは太陽と土と、そして家族の力
「ウチのニンジン・ジュースを飲んだら、9割の人が買っていきますよ」
本田和寛氏(56)のあまりもの自画自賛ぶりに激しく興味を惹かれ、「試飲させていただけないか」とお願いしてあったのだ。 (以下つづく)
時代に挑戦したヤミ米生産者その精神は親から子へ受け継がれて
コメ作りを始めたのは、1978(昭和53)年。そもそもは、水沢市で建設会社に勤めていたが、農業をやっていた両親が高齢になったことや子供の教育のことを考えて、家業を継ぐ決心をした。 (以下つづく)
農業経営者としての誇りと食べ物づくりの理想が再起を促した
にもかかわらず、彼は絶望の淵に落ちることなく、捲土重来を期することができたのだろうのか。そこには、日本の農業を良くしていきたいという思いがあったと、秋川氏は振り返る。
「お袋に連れられて満州から山口に引き揚げてきた時には、戦前に父が買っていた土地も全部国に没収されてしまいました。お袋が着る物もほとんど売り払って、いよいよお金に変えられるものがなくなろうとしていたある日、亡くなっていたのではないかと諦めかけていた親父が、玄関にすーっと立っていたんですね。(以下つづく)
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