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時流 | 貸しはがし事件記

集落営農の犠牲者
岩手県北上市で起こっている「貸しはがし」事件記
連載第4回 | 農業経営者3月号 | (2007/03/01)

岩手県北上市・北藤根地区で農地の貸しはがしトラブルを起こしている集落営農組織が、昨年末、農事組合法人として設立された。新たな法人は、地域に軋轢と混乱を生み出していながら「集落の土地を守る」と主張する。その矛盾した行動を市は完全に野放しにしたままだ。また、農水省は「雪だるまパンフ」の改訂にあたって、またしても誤ったメッセージを地元に送った。問題解決への糸口はいつになったら見えてくるのか。
(秋山基+本誌特別取材班)

認定農業者に被害を与え「人を助ける農業」を標榜



組織の設立総会は12月23日、北藤根地区の公民館で開かれた。法人名は「あぐりファームふじね」。地区の兼業農家ら27戸が、1口5000円(10a当たり)をそれぞれ所有面積に応じて出資し、加入した。出資金合計は約179万円となった。

役員は7人が選任された。代表理事には予定通り、建設業を本業としてきた人物が就いた。ちなみに、その妻はJA岩手県女性組織協議会会長、北上市農業委員を務めている。

その他の人事では、元議員の親族らが理事に、元市農政課長らが監事に選ばれた。北上市農協組合長は役員にならなかったが、法人の所在地はその自宅住所と決まった。

同月27日、「日本農業新聞」東北版は、組織の設立を「集落営農の法人化第1号」として伝えた。記事中で代表理事は「集落内で助け合うことで大抵の農業はうまくいくと考える。利益追求の農業ではなく、集落の土地は集落で守っていく、人を助ける農業を目指したい」とコメントしている。

また、経営方針については「水稲、大豆の経営と農作業受託を一つの柱とし、農産物加工などの付加価値創造をもう一つの柱に、効率的な農業経営と地域環境の保全発展に努めていく」などと書かれている。

当然と言うべきか、この組織と集落内の認定農業者、伊藤栄喜氏(59)の間で、土地利用をめぐる軋轢が生じていることには一切触れられていない。

本誌が総会出席者に取材したところ、代表理事の挨拶は、その場にいない伊藤氏への批判にかなりの時間を割くなど、決して前向きとは言えないものだったという。

「個人攻撃に近い発言で、たくさんの来賓を招いた総会の華々しさにふさわしくない内容だった」とその出席者は印象を語る。

組織への加入者が確定した結果、伊藤氏が貸しはがされる面積は当面、約6haとなる。06年実績を基に経営上のマイナスを試算すると、額は260万.300万円と見込まれる。

ただし、影響を受けるのは伊藤氏だけではない。組織の中にはこれまで、北藤根に隣接する地区の酪農家グループに転作を委託してきた加入者も含まれており、牧草地として使われてきた農地を返還させている。

そのグループではやむをえず組織側の要求を飲んだが、酪農家にとって牧草地が減少することの意味は大きい。年3回収穫するエサを失えば、別途、エサを調達する必要に迫られるからだ。

このように現実的な経営被害を集落内外に及ぼしておきながら、「人を助ける農業をしたい」とは、一体何を意味するのだろうか。

北藤根周辺では今、集落営農の法人化に沸く人たち、その将来を危ぶむ人たち、そして成り行きを冷ややかに眺める人たちの視線が絡み合っている。住民の一人は「集落の雰囲気は以前よりずっと悪くなった」と漏らす。

1月には、法人の副組合長に選任されて間もない加入者が早くも職を辞退した。集落関係者に対し、この加入者は、組織の意思決定のあり方についての疑問を呈したといい、「法人化スタート」の多難な様子がうかがえる。

新パンフで「貸しはがし」削除“小細工”が生む誤解



先月号で筆者は、11月27日に農水経営政策課から各地方農政局などに出された通知「集落営農の組織化に伴う認定農業者等との土地利用調整について」を一部紹介した。

この通知は、市町村に対して、「農用地の利用調整が円滑に行われていない事案」があった場合には、「当事者からの聞き取り等を通じて、従来からの地域の農用地の利用調整の方向に配慮しつつ、当該事案を円滑に解決するよう努められたい」とも求めている。

通知の内容は、すでに岩手県を通じて北上市にも下りているが、北上市は相変わらず、当事者たる伊藤氏から直接話を聴いていない。それなのに、あろうことか法人の設立総会には、農林部長や農政課員らがそろって出席していた。

取材に対し、市農政課では「案内状が来たから総会には出席した」と弁明した。通知の内容について承知はしていたものの、「当事者間で話し合ってほしい。市としては県と相談してから考えたい」(同)と不動の構えを決め込んだままだ。

本来なら伊藤氏と組織の間に入って「円滑に解決」すべき市担当者が、一方の当事者とだけ密な関係を維持していたのでは、もはや不作為を越えている。北上市では国の通知を無視した片手落ちの対応が公然とまかり通っている。

12月25日、農水省は「品目横断的経営安定対策のポイント」(雪だるまパンフ)を改訂版(Ver.10)へと更新した。その中で、Ver.9(06年8月7日版)と大きく変わった箇所がある。

本欄で何度も引用した通り、Ver.9では3頁に「集落営農の組織化に当たっては、これまで規模拡大を図ってきた認定農業者等の規模拡大努力を阻害すること(いわゆる『貸しはがし』)のないよう、地域の関係者間で十分に話し合いを行うことが重要です」とあった。

Ver.10の3頁はこう変更されている。「集落営農の組織化に当たっては、これまで規模拡大を行ってきた認定農業者等の規模拡大努力にも配慮しつつ、地域の関係者間で十分に話し合いを行うことが重要です」

貸しはがしという言葉が消されたのだ――。

本誌ではこれまで、北上市のトラブルを引き起こした原因のひとつは、貸しはがしの定義が明示されていないことだと重ねて強調してきた。

この点について、農水省経営政策課は「この用語を使っている人の間で統一された内容、意味を持っているとは言い難い」と議論をずらし、定義付けを意図的に避けた。具体的な被害を訴えている認定農業者がいるにもかかわらずだ。

ところが、事態が深刻化し、混迷の度合いが増すと、今度は貸しはがしという言葉そのものをパンフから消し去った。改定に際して同省ホームページには、Ver.9からの「主な変更箇所」が挙げられている。けれども、この文言削除についてはなぜか一言の言及もない。

削除の理由について、経営政策課に尋ねると、「貸しはがしは、分かりやすさを考えて使った言葉だが、定義の有無だけが取り沙汰されると、返って関係者間で揉める原因になるため」との回答が返ってきた。

Ver.10の3頁には、「農地の利用調整については、必要に応じて、市町村、農業委員会、担い手育成総合支援協議会等の地域の関係機関とも十分相談の上、進めてください」との記述も加えられている。

いかにも「国は関係ない」と言いたげな一文だが、「(貸しはがしを)起こしてはいけないという考え方に変わりはない」(同課)と言う。

問題は今回の改訂で、「農水省は貸しはがし問題から手を引いた」という二度目の誤ったメッセージが北上に伝わる危険性がまったく考慮されていない点だ。

現に伊藤氏に対して、北上市農協のある職員は、パンフから貸しはがしという言葉が消えたことを伝え、「農水省は〝そういう態度.だ。あなたも適当な所で妥協した方がいい」と耳打ちしたという。霞が関の都合による小細工は、これほどひどい誤解を地域に与えている。

既得権を考えての判断しかし国の認識は甘かった



実はもともと農水省内には、認定農業者と集落営農の間で起きる軋轢を「貸しはがし」と呼ぶことへの慎重論があった。金融界の用語として浸透していた言葉を使って、農地をめぐる現実のトラブルに対処できるのか、違法でないケースにどう対処するのかといった疑問の声も上がっていたという。

あえてこの言葉を使ったのは、「認定農業者の既得権を考えての判断だった」と、ある農水省関係者は明かす。

「国は認定農業者と集落営農を〝制度的に同列.に扱うしかない。同列とは、極端に言うと競争しろということ。そうなると場合によっては、先行する認定農業者が既得権を侵害される。それはまずいと意識して考えぬいたからこそ、『貸しはがし』という表現で注意を呼びかけた」

品目横断的経営安定対策の実施を前にして、農協は集落営農の組織化に団体としての存亡をかけている。市町村は傍観するか、腰が引けた状態だが、地域の農業生産維持を目標として掲げる以上、農協の意向を無視できない。

では国の本音はどうなのか。「意識決定の遅さ、責任の空洞化、他者依存といった集落営農のマイナス面を認識していないわけではない。しかし、改革を進めるからには、生産コスト低減に寄与する〝擬似的な土地利用集積.というプラス面を見るしかない」と前出の農水省関係者は語る。

「だからトラブルは未然防止が大事だった。なのに、起きてしまった。いったん地域がこじれたら、もう行政は入っていけない。介入すれば、さらに当事者間の憎しみが増すだろう。国の認識は甘かった」

北上市の事例や他の地域での貸しはがしの状況を見れば、〝農政の大転換.が、その理念とは裏腹に、時代と逆行する要素を取り込んでしまったことは明らかだ。農水省は、規模拡大に意欲的な農業者たちに対して、集落営農の組織化に伴って農地を失うリスクを織り込んでおけと説得できるだろうか。

北陸農政局は貸しはがし相談窓口を設置



農政に手詰まり感が漂う中、出先機関では新たな動きも出てきたので、触れておく。

北陸農政局は1月16日、貸しはがしについての相談を受ける窓口を地方農政局で初めて設置した。集落営農との間で農地をめぐってトラブルが起きているという認定農業者からの声は、すでにかなり寄せられており、「座視できない状態」(同局構造改善課)と判断したためだ。

相談は郵送やファクス、メールで受け付け、当事者から詳しく事情を聴く。内容については、現地の農業委員会などにも照会、確認し、必要に応じて現地へ出向いて関係者に助言するという。

「貸しはがしと言われている事案は曖昧で、行政が入りにくい部分はある。しかし、担い手が経営資源を奪われ、手足をもぎ取られたら最悪のケースだ。集落営農との生存競争にならないよう、農業委員会や農協にも入ってもらって円滑な話し合いができるような下地作りをサポートしたい」(同課)

相談窓口を局(金沢市)1箇所に絞り、相談者が地域ではなかなか口にしづらい話を訴えやすくするなど配慮も行き届いている。少なくとも貸しはがしを抑止する効果は期待できる。と同時に、北陸で可能なことが、東北でできないはずがないと、筆者には思えてならない。

昨年末、伊藤氏のもとにジャガイモの種イモ640kgが届いた。今年、約40aの自作地で試験栽培を始めるためだ。

伊藤氏がジャガイモの試作に乗り出すのは、今回のトラブルが起きたからではない。転作作物、助成金に縛られた経営からの脱却を数年前からずっと考えてきた。

「国の政策によって集落営農が立ち上がり、それが原因で貸しはがしが起きた。だからなおさら国の補助から脱却しなければと思うようになった。品目横断の制度や産地づくり交付金とは関係ない作目も経営に取り入れつつ、東北に合った土地利用型農業をしたい」

集落内で孤立感を覚えながらも、伊藤氏はそう自分に言い聞かせる。

倉庫に眠る種イモは、春の訪れをじっと待っている。
Posted by 編集部 06:30

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