編集長コラム | ||
まじめ・不まじめ・非まじめ | 農業経営者5月号 | (2007/05/01)
【「農業経営者」編集長 昆 吉則 -profile
】
本誌への高橋がなり氏の登場について、一部の読者に反発があるようだ。高年齢者というより、次代を担う40歳前後の若手経営者の中にそうした声が聞かれる。逆に高年齢の読者ほど、がなり氏が農業にかかわることを歓迎する声が多いことも僕には興味深いことだった。
団塊世代以上の本誌読者であれば、自らの事業を通して農業変革に取り組んできたことは容易に想像できる。むしろ、ままにならない体験の積み重ねがあればこそ、農業界に高橋がなり氏のようなトリックスターが登場することを歓迎するのであろう。
トリックスターとは英語で詐欺師という意味であるが、同時に神話学で、神や世界の秩序を壊し、破壊と創造のきっかけを作るやんちゃなヒーローを意味する。僕はがなり氏にそんな期待を持つのである。
若い人の間でもがなり氏の人気は凄い。昨年夏、僕は山形で行われた4Hクラブの全国大会に講演者として呼ばれた。山形の読者たちに行き合わせるべく同行していた同氏のことを、話しの中で紹介した。すると、講演が終わるやいなや、若者が同氏を取り囲む。僕は、その脇で手持ち無沙汰にしているほかなかった。
がなり氏は、TV、雑誌、講演などで、自らの経験を語りながら、挫けそうな者や社会の底辺にいる劣等感に苛まれている若者に対して、同氏流の表現で激を飛ばしてきた。そんながなり氏が農業を始めた。4Hクラブの全国大会に来ていた青年たちが、有名人に会いたいという軽薄な思いがあったとしても、同氏の周りに殺到したのは肯ける。同氏は、その場の役割をキッチリと演じることのできる人だった。本誌での登場をきっかけに、農業関係での講演依頼が殺到しているという。
しかし、本誌の依頼によるがなり氏の登場を「不快に感じる」と話す読者の気持ちも、がなり氏には失礼だが理解はできないわけではない。
そうした批判の中にある、「『農業経営者』は有名人をつかって客寄せをしようというのか」という言葉には否定しない。僕はどんな手段を使ってもこの雑誌で語られていることを農業界に広めたいと思うからだ。でも、トリックスターとしてのがなり氏を必要とする現在の日本の社会や農業界があるのではないか。神話の世界のスサノオノミコトや孫悟空のような存在である。
がなり氏登場を嫌った若い2人の読者は、一人は大規模な野菜生産に取り組む人であり、もう一人は都市農業のなかで消費者を巻き込み子供たちに農業を伝えようと奮闘しておられる。ともに僕が尊敬する時代を担う人々であり、その見識の高さもいうまでもない、まさに農業の明日を切り開く活動をしている方々だ。
これは、決してお二人に対するからかいの言葉ではないと断った上で申し上げる。当然ともいえるあなた方のまじめさが、自らの視野を狭めていることはないか。がなり氏を登場させる本誌は不まじめなのだろうか。がなり氏は不まじめな人物なのだろうか。人にとってまじめさなんて当たり前のことだ。でも、不まじめではなく、あえて非まじめに演じる生き方もある。がなり氏はそんな役割を大まじめに果たしているのではあるまいか。彼の農業への挑戦も成功が約束されているわけではない。でも、同氏は一所懸命である。そして、同氏はただのトリックスターなどではなく農業あるいはその同伴者として成功者となることを僕は期待する。
トリックスターとは英語で詐欺師という意味であるが、同時に神話学で、神や世界の秩序を壊し、破壊と創造のきっかけを作るやんちゃなヒーローを意味する。僕はがなり氏にそんな期待を持つのである。
若い人の間でもがなり氏の人気は凄い。昨年夏、僕は山形で行われた4Hクラブの全国大会に講演者として呼ばれた。山形の読者たちに行き合わせるべく同行していた同氏のことを、話しの中で紹介した。すると、講演が終わるやいなや、若者が同氏を取り囲む。僕は、その脇で手持ち無沙汰にしているほかなかった。
がなり氏は、TV、雑誌、講演などで、自らの経験を語りながら、挫けそうな者や社会の底辺にいる劣等感に苛まれている若者に対して、同氏流の表現で激を飛ばしてきた。そんながなり氏が農業を始めた。4Hクラブの全国大会に来ていた青年たちが、有名人に会いたいという軽薄な思いがあったとしても、同氏の周りに殺到したのは肯ける。同氏は、その場の役割をキッチリと演じることのできる人だった。本誌での登場をきっかけに、農業関係での講演依頼が殺到しているという。
しかし、本誌の依頼によるがなり氏の登場を「不快に感じる」と話す読者の気持ちも、がなり氏には失礼だが理解はできないわけではない。
そうした批判の中にある、「『農業経営者』は有名人をつかって客寄せをしようというのか」という言葉には否定しない。僕はどんな手段を使ってもこの雑誌で語られていることを農業界に広めたいと思うからだ。でも、トリックスターとしてのがなり氏を必要とする現在の日本の社会や農業界があるのではないか。神話の世界のスサノオノミコトや孫悟空のような存在である。
がなり氏登場を嫌った若い2人の読者は、一人は大規模な野菜生産に取り組む人であり、もう一人は都市農業のなかで消費者を巻き込み子供たちに農業を伝えようと奮闘しておられる。ともに僕が尊敬する時代を担う人々であり、その見識の高さもいうまでもない、まさに農業の明日を切り開く活動をしている方々だ。
これは、決してお二人に対するからかいの言葉ではないと断った上で申し上げる。当然ともいえるあなた方のまじめさが、自らの視野を狭めていることはないか。がなり氏を登場させる本誌は不まじめなのだろうか。がなり氏は不まじめな人物なのだろうか。人にとってまじめさなんて当たり前のことだ。でも、不まじめではなく、あえて非まじめに演じる生き方もある。がなり氏はそんな役割を大まじめに果たしているのではあるまいか。彼の農業への挑戦も成功が約束されているわけではない。でも、同氏は一所懸命である。そして、同氏はただのトリックスターなどではなく農業あるいはその同伴者として成功者となることを僕は期待する。
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