時流 | 貸しはがし事件記 | ||
集落営農の犠牲者
岩手県北上市で起こっている「貸しはがし」事件記
連載第7回 | 農業経営者6月号 | (2007/06/01)
(秋山基+本誌特別取材班)
5者が一同に会したのは3月5日。その席で同農政事務所の担当者は「なんとか解決策を見出してほしい」と述べた。
しかし、市は「伊藤氏本人から直接相談を受けていない」ことを理由に話し合いへの参加をためらい、「利害関係が絡んだ個別の問題に立ち入るのは難しい」との見方も示したという。
たしかに、伊藤氏はこれまで市に相談していなかった。それは普段から市との接触があまりなかったのと、県や農協に相談すれば、市にも伝わると信じていたからだ。
現に市は県などから情報を得ており、もっと詳しく知ろうと思えば、伊藤氏から話を聞く機会はいくらでもあった。昨年11月27日付農水省経営政策課長名の通知でも、集落営農の設立に伴って「農用地の利用調整が円滑に行われていない事案」がある場合には、実態を把握、報告するよう市に要請している。
予言されていた「好ましくない事態」
市は貸しはがし問題にどう対処すべきなのか。過去の公式文書に照らして、もう一度整理してみたい。
2003年9月16日付、農水省経営局長名で出された通知「米政策改革に伴う構造政策の推進について」にこんな記述がある。
〈特定農業団体制度は、典型的には、現状のままでは地域農業の担い手の確保が困難な場合に活用していくことが効果的であると考えられる方策であり、全国くまなくその組織化を推進する性格のものではない。しかしながら、こうした制度本来の趣旨が正しく理解されず、無秩序な取組が行われた場合には、既存の認定農業者等の担い手の規模拡大努力の成果を損ない、特定農業団体との間で農用地の利用面であつれきが生じるなど、好ましくない事態も想定される。
このため、市町村は、両者の間で、農用地の利用集積に関して無用の混乱が生じないように、地域における話し合い活動の中で十分な調整が行われるよう、関係者を指導することが適当である〉
北上の事例を予言したような文章で、生々しささえ感じる。まるで、こうなることが分かっていたかのように「好ましくない事態」が描写され、市町村に期待される役割も明記してある。
さらにこの通知には、調整の方法についてこう書かれている。
〈認定農業者等と組織化しようとする特定農業団体の双方がそれぞれ独立して経営発展を図り得ると見込まれる場合にあっては、特定農業団体の利用に係る農用地からこれまでの認定農業者等の利用集積に係る農用地を除外する、あるいは認定農業者等に近隣の代替農用地をあっせんする等により、両者の利用に係る農用地を、ともに面としてまとめて配置するものとする〉
北上市が取るべき措置は、自ずと明らかと言うほかない。
「伊藤氏は協力する」と考えていた北上市
3月末、岩手農政事務所の勧めを受けて、伊藤氏は市農政課に直接、相談した。その際、伊藤氏は組田の問題を優先して話した。すると、信じがたいことに、市ではこの訪問を「貸しはがし問題での相談ではなかった」(農政課)と受け止めた。
組田問題は貸しはがしが生んだ2次被害であり、組織側の経営にとっても、地域全体にとっても障害となる。その点は後述するとして、筆者の取材に対し、市農林部長はこうも語った。
「この問題では、先に県や農政事務所が調整に入っていたため、市としては入りそびれた面があり、反省点は多い。集落営農は大規模農家の経営を阻害しないように進めるべきというのが市の大方針。伊藤氏から改めて相談があれば、汗をかくことはいとわない」
同部長によると、現在、市農業委員会に、伊藤氏にあっせんできる代替農地はないが、委員会や農協と連携し、継続的に農地を探すことは可能という。 しかしそれにしても、市の対応ぶりは、初動から今に至るまでひどすぎる。同部長は「伊藤氏が何らかの形で集落営農に協力すると簡単に考えていた」と話すが、その言葉自体、認識の甘さを表している。
組織側は05年から設立準備を進めており、市はそのことを把握していた。ならば、制度上の誤解を解き、伊藤氏との「すみ分け」に誘導すべきではなかっただろうか。組織側の主要メンバーである農協組合長や元市農政課長に対して、市当局者に遠慮の気持ちはなかっただろうか。
筆者は別に市だけに責任を押し付けるつもりはない。先に挙げた通知においても、国は事態を予言し、予防策を提示しただけで、起きてしまった貸しはがしへの対処法が用意されていないからだ。
「北藤根の組織は制度の方向性に沿って立ち上がっている。そこに行政は介入できない。我々には組織から事情聴取する権限もなく、加入申請が出されれば、受け取るしかない」(岩手農政事務所)
無秩序な組織化も、助成金目当ての転作も、いったん始まってしまえば、是認するしかない。虚しくも、これが蕫戦後最大の農政改革﨟の一断面だ。しかも「好ましくない事態」は、予言された以上のモラルハザードを伴って進行している。
踏みつぶし、ポジティブリスト多くの問題をはらむ組田
組田とは、複数の地権者が所有する狭い農地を1枚にまとめた圃場を指す。各地権者が別々に耕作するのではなく、実耕作者を1人にして、効率的に利用しようという考え方に基づいている。
伊藤氏はこれまで数カ所の組田で実耕作者として転作を受託してきた。しかし、組田の地権者が集落営農加入者と非加入者に分かれた場合、圃場が分断され、その利用に支障が生じる。
そこで田植えの時期を前に、伊藤氏は「組田については別途話し合いを進めたい」と組織側に提案。お互いの農地を交換することで、組田の現状を維持する案を示した。また先述したように、市に対しても「指針を作ってほしい」と協力を仰いだ。
「でなければ、組織に入らない地権者への責任が果たせない。地域全体にとってのマイナス要因は、農繁期前に取り除かなければいけない」と考えた末の判断だった。
組織側の担当役員は一時、農地交換に前向きな態度を見せたという。県の担い手対策担当者も「組田の処理をきっかけに関係機関が集まり、全体の土地利用調整を進める方向に動き出せば、もつれた関係をほぐせるかもしれない」と期待を寄せていた。
だが、組織側の決定は関係者の期待を裏切るものだった。最終的に担当役員は「伊藤氏が転作する場所の隣では組織側も転作するが、農地の交換はしない」と回答した。組田の中での水稲と転作のバッティングという最悪のケースは避けられたものの、多くの問題が残った。図に示したので参照してほしい。
最も単純なのは〈1〉のパターンだ。組田は、各々の地権者の所有分に進入路があるとは限らない。図のように1カ所しかない場合、一方は他方の作物をトラクタなどで踏みつぶして、作業することになる。
境界線も地権者同士で画定しなければならない。仮に数十cm幅で空白を設けるとすれば、双方ともその分の作付けはできなくなる。
〈2〉のように地権者が3人いる場合、伊藤氏は、集落営農が耕作する部分をまたいで2カ所で作業することになる。たとえ進入路が両脇にあっても、作業効率は悪化する。
〈3〉のパターンは、伊藤氏自身も想像していなかった。この組田では、3aを所有する地権者Fが、Gから8a、伊藤氏経由でHから10aを借りて、水稲を作っていた。伊藤氏はHから他の農地も含めると、計約2ha借りており、ここはFの希望もあって転貸していた。
ところがFとGは集落営農に加入。Fは伊藤氏に対し、転貸借の解消を通告した。組織は、借地の相手を組織加入者だけに絞っていく方針と見られ、Hの農地は不要と判断したようだ。つまり貸しはがしの逆の現象、「借地切り捨て」が起きたことになる。
伊藤氏は計画の変更を迫られ、急きょ10aで大豆を作る予定を立てた。借地を切った組織側も、FとGの土地で水稲は作れない。結果的に双方の計画が狂い、農地の利用集積とは逆行する形で、圃場は二分されてしまった。
潜在的な問題はまだある。転作田で、伊藤氏は小麦と大豆を作る。これに対し、組織は大豆しか作らない。したがって組田で伊藤氏が小麦、組織が大豆を作付けたとしよう。もしも空梅雨などの影響で、小麦の収穫前に大豆で干ばつ害が起きそうになれば、組織側は水を入れる。そうなると伊藤氏の小麦に湿害が出るおそれがある。
もっと注意が必要なのが、残留農薬のポジティブリスト制度だ。一般の隣接圃場でもドリフトの影響は心配されているが、組田の内側には畦畔がなく、双方の作付けは極めて接近する。
万が一、小麦から大豆用、大豆から小麦用の農薬が残留基準値をオーバーして検出されたら、生産物の出荷停止、回収などを迫られる。
組田問題をめぐっては、組織側の経営姿勢が改めて問われている。
「組織は転作で捨て作りをするつもりかと疑いたくなる。彼らは助成金がもらえればいいのかもしれないが、本来、農家同士であれば、『作物を踏む』ことなど絶対に認められないはずなのに」と伊藤氏はやりきれない様子で話す。
組織の統制力にも疑問を感じざるをえなくなった。伊藤氏による農地交換の提案に、組織の担当役員は一度は耳を傾けた。けれども結局、実現しなかったのは、メンバーそれぞれの意見や都合をまとめる力、意思決定能力が、組織に欠けているからではないだろうか。
県担当者は「もしも組田を解決できなければ、北上の問題はモラルの次元に落ちてしまう」と話していた。現実はその通りになりつつある。
伊藤氏から組田の問題で相談を受けた北上市から、現時点で具体的な指針は何も示されていない。
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