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急成長するアラブ産油国視察ツアー
ドバイ贅沢市場とサウジ巨大農場
~100兆円オイルマネーを日本の農場に環流させよ!~ (2007/09/01)
話題沸騰! 参加者殺到必然!
農通恒例第8回海外視察ツアー、申込〆切は1月18日です。
視察場所
Gulfood(ガルフード)/2008年2月24~27日
アラブ湾岸産油国最大の農産物・食品商談会、他
■日程:
2月21日
・ドバイ中央青果卸市場
・ドバイ・フラワーセンター
・バージュ・アル・アラブ
2月22日
・Spinneys Mercato(ドバイ高級スーパーマーケット、 Mercato Town Centre内)
・Mall of the Emirates(ドバイ最高級ショッピングモール)
2月23日
・アル・アイン&フジャイラ周辺の農場見学
2月24日
・GULFOOD 2008
2月25日
・高級スーパーバイヤー&ホテル・スーパーに納品する現地卸業者(輸入・再輸出・小売)企業訪問
・ジュベル・アリ・フリーゾーン
2月26日
・アル・ハイヤーの農場見学
・市内の金市場(ゴールド・スーク)
★日程一覧表(xls)はこちら
■旅行代金:2008年2月20日出発 7日間 554,800円 東京・大阪発(2名1室利用)
*上記旅行代金には燃費サーチャージ・出国税は含まれておりません。別途お支払いください。
■日本発着航空会社:エミレ−ツ航空
*札幌、福岡 発着は追加料金がかかります。
(札幌20,000円/片道、福岡15,000円/片道)
*飛行機ビジネスクラス利用追加料金 390,000円
■ご利用予定ホテル:グランド・ハイアット・ホテル(ドバイ)
*一人部屋使用追加料金:118,800円
*オプションでデラックスリゾートホテル宿泊のコースあり
*バージュ・アル・アラブ宿泊プラン追加料金148,000円
(2名1室利用/お一人様1泊当たり)
*ハーフル・アルバーティンでの宿は未定
■食事:朝食4回、昼食2回、夕食1回(この回数に機内食は含まれません)
■最少催行人員:10名
■添乗員:添乗員は同行しませんが、現地係員とアラビアンブリッジ及び農業技術通信社スタッフがお世話いたします。
*詳しい旅行条件を説明した書面(パンフレット)をお渡ししていますので、事前にご確認の上、お申し込みください。
■研修企画:株式会社 農業技術通信社
■旅行企画・実施:近畿日本ツーリスト株式会社(担当:西原・八鳥)
国土交通大臣登録旅行業第20号、(社)日本旅行業協会正会員、ボンド保障会員、旅行業公正取引協議会会員
住所:〒130-0013 東京都墨田区錦糸3-2-1アルカイースト18階
TEL:03-6658-1031 FAX:03-6658-1032
(営業時間:月〜金曜日 9:15〜17:00、土日祝日休み)
管理番号:044907111046-K-BSP
前書き 本稿は、先般アラブ首長国連邦(UAE)を訪問された鳥取県の国会議員の方が、UAEとの農業技術提携や協力開発、さらには交易関係確立に意欲的と伺ったのが切掛けで書かせて頂くことになったものです。鳥取県と言えば砂丘で有名であり、その農業技術は同国においても必ず有意義に利用可能でしょうし、農業が主要産業の一つであるUAEラス・アル・ハイマ首長国の関係者に話をしたところ非常に興味を示していました。また、鳥取県に限らず農業先進国として長い歴史を持つ日本のどの都道府県でも、あるいは官民を問わず、農業技術、水、土壌改良などの研究に携わっている大学農学部等の関係者の方にも、是非読んで頂きたいと願っています。
産油国UAEの知られざる顔、農業王国ラス・アル・ハイマ首長国
――農業先進国日本との提携・交流への提案――
UAEのドバイやアブダビ首長国と同様に、ラス・アル・ハイマ(以後RAKと略す)首長国でも近代産業、特に工業、建設業、不動産、金融は同国GDPの中で急速に伸びている部門として目を見張るものがある中で、RAK皇太子兼君主代行のシェイク・サウードは、「我々の歴史からの遺産に背を向けてはいけない」という彼の理念を常々強調しています。半世紀前、破綻し飢えた首長国を引き継いだ彼の父、シェイク・サクルは国の崩壊寸前に直面していました。人々は飢え、国庫は空になり、負債地獄へ転落しつつあったのです。それは、戦争により国際資金の流通が滞り、第三世界諸国にとってインフラ・ストラクチャや近代産業を創出する有効な機能が存在しなかった、第二次世界大戦終戦直後のことでした。
そんな中で、シェイク・サクルは、今まででも常にRAKの生存基盤であった地場の零細産業に目を向け、特に力を注いだのが農業でした。シェイク・サウード曰く、「私は少年時代に、父が単純思考的とも言える農業発展への追求と、灌漑用水路(falaj)建造に夢中だったことを憶えています。よく野原に行き、建造作業の監督をしたり農民を相手にしたりしている父を見ていました。それから今や半世紀が過ぎ21世紀の経済社会にいる私たちですが、幸運にもRAKは沃野からの膨大未知な可能性を持っており、折角のアラビアの穀倉地帯として確立された地位を維持しないのは馬鹿げています。」
1940年代後期までは、RAKの民はほとんど大地からの恵みに依存していました。彼らには豊富な魚、ラクダや羊のミルクや肉、そして土地からの自然湧水と果実があり、基本的な生存必需品は自給でき、さらに1950年代になると、農業は重要な国の収入源となりました。過酷な気候環境にもかかわらず、適切に運用すれば更に拡大できる肥沃な土地に恵まれていたのです。
農業地帯
RAK南側のハジャル山脈のふもとに横たわる広大なジリ平原は、潤沢な水資源により最も肥沃な地域として知られ、そしてUAE主要の農業地域となりました。冬の雨期が過ぎ春になると、山脈から流れてくる雨水はワディス(wadis)と呼ばれる干ばつ河川を満たし流れだし、地下水源は井戸によって利用できるようになり、この辺り全域は鮮やかな緑に覆われ、家畜用牧草と農産物を提供するのです。
しかし、他の姉妹首長国よりも年間降雨量に恵まれているとはいえ、所詮は潤沢なものでもなく、より良い耕作地での農作業を維持するためには雨水を適切に管理する必要があります。農場が増え水への需要が高まれば更に井戸を深く掘ることになりますが、いずれは水が塩性化し、ひいては耕作物が被害を受けることになります。そこで政府による重要な対策として、雨水を溜め地下水のレベルを上げるために、1980年代には山々から流れてくる主なワディスのいたるところに数々のダムが建設されました。それらは雨水を溜め、その水が灌漑用水路を経て農耕地に配水されるようになっています。水の管理は、農耕地に適切且つ経済的に水が行き渡るのを確実にするためには絶対不可欠なもので、今日では、定期的に塩性試験が行われています。
最大級のダムは、UAE東海岸のハジャル山脈の海岸側にあるRAKとフジャイラ首長国を古代山道で繋ぐワディBIHを遮って作られた巨石構造からなるダムで、雨水の貯蓄としての役割と同時に、訪ねる私たちに感動的な素晴らしい景観を与えてくれています。
時が経ち20世紀になると、人々は存続のためには、水のみだけが良い結果をもたらすものではなく、更なる大地からの恵みが必要になると気付き、代々伝わってきた手法を進化させる様々な農業技術が導入されてきました。RAKがその農耕地を維持し収穫高を上げるためには、農業試験が常に進行中の過程でなければなりません。確かに、この首長国は驚くほどの膨大な収穫を生産し、そして長年にわたり更なる挑戦を繰り返し、今では大麦や小麦のような種子栽培も取り入れています。
RAKの近代農業技術の出現は、現RAK市街と空港の間にあったディグダガ村落に“休戦協定諸国” (UAE結成以前の名称)初の試験農場が設営された、1955年までさかのぼります。今日でも、ここには農業水産省の本部が置かれていますが、主要な農場は長年の使用による土壌の塩性化のため南方のハムラニヤ地域に移され、そこには農業研究センターも設置されて、今日では、地元農場に、適応する穀物、野菜、フルーツなど品種開発や育成方法、農薬などの分析から、その他のサービス、主要機具の提供に至るまでの援助を行っています。ここの農民は幸運にも政府が農場を無償で準備してくれますし、灌漑用水路、機材、種子、あるいは農薬などの購入も政府からの助成金があり半額で仕入れることができるのです。
また、重要な温室栽培の試験も行われており、設置や維持費が高くても、水が少なくても育つ集中的培方法が徐々に活用され始めています。
このように先駆けの時代を通じて、確実にRAKは湾岸諸国間の農耕業、そして近年では、畜産業を先導しながら、様々な農業技術が開発されてきました。それらは非常に忍耐と根気のいる作業でしたが、今日の地場市場への供給と近隣諸国への輸出からの国益を考えると、まさに文字通り実になっているのは間違いありません。
春になると、木にはオレンジやレモンその他の柑橘系フルーツがいっぱい生り、青々とした瑞々しい果樹園を見るのは地中海を思わせるような光景を見ているようで、砂漠の国の光景とは思えないほど驚かされます。柑橘類の樹木は、様々な植物病害への抵抗により年による生産性が落ちるため、15年ほどで新しく交換されます。また、豊かにデーツが実ったヤシの木立は、人々にとって涼しく癒されるオアシスでもあります。RAKは特にデーツ栽培が有名で220万本のナツメヤシの木から年間3万トン以上のデーツを生産していますが、その中でもディガダガ農園だけで2万トン生産されているといわれています。それらの収穫は地場および近隣地域用の消費に確保され、残りは遠いところではヨーロッパまで、国際空港から航空便で輸出されています。近い将来、この美味で栄養があり健康に良いデーツは日本の食卓でも受け入れられることでしょう
酪農業
RAK農業の発展は農作物の域にとどまりません。同首長国はその酪農場を通じて、全UAEに牛乳とその副産物を提供しているのです。RAKの酪農業は、30頭の欧州ホルスタイン牛が初めて輸入された、1969年から始まりました。これはシェイク・サクルによる 勇敢かつ高価な博打的施政でした。当時は誰もが、気温が明らかに涼しく地勢が違う自然生息環境から離れたところで、これらの家畜が生存できると思っていなかったのです。しかし、それらは見事に生存し、いま幾つかの農場で受け継がれている極めつけの成功産業の先駆けとして君臨し、その後を追って多くの酪農場がUAE全国に開設されているのです。
初めてこれらの家畜が導入された元祖ディグダガ農場は、その後1979年にArab Company for Livestock Development (ACOLID)と政府の共同事業Arab Company for Animal Productionに引き継がれましたが、名は依然とディグダガ酪農場として残っています。
この事業は当地域における草分け的な、また今日ではヨーグルトやクリームなどの高品質製品製造として有名ですが、肉製品にも手を広げています。サラミ、ソーセージや他の冷肉加工食品がAwaffiのブランドとして地場地域マーケットで売られています。また、他の系列会社では、酪農に日常必要な飼料や干し草を提供するために育てています。
今日、ディグダガ酪農場では畜舎に約600頭のホルスタイン牛が飼われていて、日に約12,000リットルのミルクを生産していますが、その酪農製品はUAE全体に販売され、近隣湾岸諸国にも輸出されています。この酪農場では独自の子牛を繁殖させることにも成功し徐々に需要に応じるよう畜舎を拡充しています。
1980年頃に始まった養鶏農場も広く行われ栄えています。RAPCOの名で知られる、Ras Al Khaimah Poultry会社は、年間約600万羽の鶏と1600万個以上の卵を生産するほどの、巨大な組織に成長しました。この会社の成功は、1983年RAPCOの主要株を買収したSheik Saudの個人的投資に負うところが多大で、これが同社の運命の転換期となったのです。彼の個人的な関与が結果的に会社の能力と可能性を広げ発展させたのです。他の養鶏場も繁栄し、今ではRAKは主要な生産者となっています。
新たな農業界発展舞台の参入として、RAKは全芝のタワーリンク・ゴルフコースの造成とともに、UAEの中で初めての業務用芝生産農場の経営を始めました。およそ年間100万ブッシェルの生産能力を持ち、当初は18ホールコースへの安定供給のためだったのですが、その生産能力は、当地ゴルフ需要をはるかに超え、現在では毎年100万米ドル相当の芝を生産し、この高収益ビジネスに君臨している欧州や米国の向こうを張れるほどに設定されています。
「私はシェイク・サウードの産業総体へ知識と理解の深さには、それがオレンジ栽培のそれに必要な配水システムのことであろうが、あるいはこの環境でのホルスタイン牛飼育の必要条件であろうと、何を話しているのかしっかり把握していていつも驚かされます。」とディグダガ酪農場のジェネラルマネージャー、モスタファ・アリ・アル‐ドゥールジ博士は語っています。
その、ラス・アル・ハイマ皇太子兼君主代行シェイク・サウード当人は、「酷暑の砂漠地帯での農耕は不可能という概念は誤信であることがこの湾岸で証明され、特にこのラス・アル・ハイマでは明らかにそうでないことが、私達が享受している大自然からの豊かな恵みがそれを示している」と語り、さらに「投資、技術、そして最も重要である革新を駆使して、ラス・アル・ハイマ首長国が持つ可能性を最大限に引き出す時が来た」と宣言しています。
しかしながら、潤沢な資金を背景に急速に進歩したとは言え、まだまだ歴史的にも技術的にも遅れているところがあるからこそのこのメッセージであるでしょうし、現実なのではないでしょうか。
この偉大なシェイク・サウードのメッセージに応えられる、いや現国際状況において、応えなければならない国こそ、我が農業先進国、日本ではないでしょうか。
先にも書きましたように、日本の農業関係諸機関、諸氏にご賢察をお願いする次第です。
真の愛国心を持ちながらアラブの王と民のために戦った英国人「アラビアン・ローレンス」のように!
マリック・エル-ローレンス
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