編集長コラム | ||
「死ぬな!」そして「死なすな!」 | 農業経営者10月号 | (2007/10/01)
筆者も親しくしていただき、そして尊敬し、誰からもこれからの更なる成長を期待されていた友人が亡くなった。その死因は「自殺」である。
内々に伝えられた訃報に、彼を知る者であれば、
「なぜだ!」
と言って後の言葉を失い、とてもその言葉を信じることができなかったはずだ。
豪快で逞しく、包容力があり、活力に満ちあふれ、何かを思えばそれに果敢に取り組む実践力、行動力を持っていた。だから人を惹きつけ、動かし、人もついて来た。彼こそ経営者になるべくして生まれてきたような人物であり、これからが経営者として脂が乗る働き盛りであると思っていた。
故人の名誉、そして悲しみにくれる遺族を思えば、その死が「自死」であることを公にするのは非礼で非常識なことかもしれない。
しかし、彼の死について、今という時代状況であればこそ書くべきことがあると判断した。そしてそれは僕自身の問題だからだ。
創刊号のこの欄で、僕が、この小さな事務所の経営者であることを前提に、自分自身への練習問題として考え、この記事を書くとお伝えした。上手も下手もない。あるいは正しいか間違っているかですらない。単なる主張でも解説でもなく、それで読者に役立ちたいと考えた。失笑や怒りを買ったとしても、小さな事業経営者だから悩むこと、実践することを読者と共有したいと考えてからだ。
何で彼は「自死」という道を選んだか。理由は誰にも判らない。多様な事業展開をし、投資もしてきた彼であれば負債もあったろう。でも、彼の財務内容を知る人は、資金繰りは苦しかったかもしれないが、返済や支払いの事故を起こすようなレベルではなかったはずだという。
メディアは、事業経営者が自殺すると、「資金繰りや借金の返済に苦しんでいた」などと書くが、そんな単純なことではあるまい。
それではなぜなのか。簡単に言ってしまえば、人が自殺という非合理な行動あるいは現実逃避を選ぶのは彼の心が“うつ”あるいは“神経症”に陥っているからなのだ。そして、それは専門医による薬の処方やカウンセリングによって状態の改善が可能なのだ。少なくとも、それを軽減できる方法はある。
本当に彼が心から意気揚々としている時なら、同じような条件に陥ったとしても、彼はその状況を笑ってやり過ごしたであろう。「馬鹿なことを」と言われるかもしれないが、大抵の困難とは、粛々となすべきことをし、ただ笑顔でいるだけで解決するのだ。
もし、不安があるのなら、まずは優れた精神科の医師に相談することだ。そして、家族や近くにいる者は彼に変化を感じたら、医師の診察を受けることを勧めること。明らかに生気の無い顔付きになった時は判り易い。しかし、豪放磊落に見える彼が、饒舌に語る彼が、実は、その心を傷つけていることもあるのだ。饒舌に見えても、豪快に見えても、彼の行動や表現に精神の起伏を感じたら、それを危険信号とすべきだ。
さらに、法律に無知で失敗の傷を深めてしまうこともある。本誌は、弁護士その他の専門家の知恵も借りて読者の力になり、必要であれば専門家のご紹介もしようと思う。
日本人の精神医療に対する感覚、及び精神医療の体制が発展途上国並である事が自殺者増加に繋がっている。という事は多少その辺かじった人間にはすぐに理解出来る事実である。
経験値から申し述べさせていただくが、余程毎日接し、相当センシティブにならなければ鬱症状を本人以外が読み取る事は大変難しい。それに外部の人間とであった時には躁状態に入る事もあるから、精神病と健全との境を見破る事は素人には不可能であろう。自殺を防げないのは癌を見破れない事と同等の事なのである。
思考と精神の乖離がどのようなものなのか、これ以上無いほど徹底して追い詰められれば体感できるから一度体感する事をお勧めする。
精神医療に対しモノ言えるようになるのはそれからだ。