特集 | ||
ニッポン農業の新旗手たち | 農業経営者 2月号 | (2008/02/01)
過去の習慣や価値観に縛られていない若手農業者が、その感性を武器に頭角を現し始めている。 彼らはあえて選んだ農業にどんな未来を見ているのか。
若手農業経営者の挑戦
後継、新規就農、農場の支援を受けての独立――ここでは、すでに農業経営者として活躍し、 それぞれのフィールドで頭角を現している若手の取り組みを紹介する。
ブランド豚で一国一城の主を目指す!
(株)みやじ豚代表 宮治勇輔(29歳・神奈川県藤沢市)
農業に無関心だった青年がつかんだビジネスチャンス晴れた日には蕫相模富士﨟といって最も美しい姿の富士山が目にできる、神奈川県藤沢市。湘南というと海のイメージが強いが、神奈川県を代表する農業地帯の一部であり、養豚も盛んな土地柄でもある。この地で養豚業を営み、自らの姓にちなんだ「みやじ豚」という名のブランド豚を育てているのが、宮治勇輔氏だ。 「今うちには650頭、母豚は55頭います。日本の養豚農家の平均豚数は1300頭だから、零細農家でしかないんですけどね(笑)」 と言って、照れながら頭をかいた宮治氏。作業着姿が様になる彼だが、この仕事に就いてまだ2年半でしかない。それまではスーツに身を包んだサラリーマンだった。養豚農家の長男でありながら、家業にほとんど関心がなかったという。
そういう彼は、幼少期から『信長の野望』や『三国志』などの歴史上の英雄を主人公にしたゲームにはまり、気づけば吉川英治の小説『三国志』に手をつけ、高校時代はあらゆる歴史小説を読み漁った。その影響からか、慶應義塾大学総合政策学部に入ると、小さな野望が湧き出した。 「男と生まれたからには天下を取らねばならない。今の時代に一国一城の主とは何だ?」 (以下つづく)
産業になりきれない。だから農業は面白い
(有)穂海代表取締役 丸田洋(33歳・新潟県上越市)
エンジニアから一転農業の世界へ上杉謙信を生んだ城下町であり、大河ドラマ『風林火山』の放送で活気づいた新潟県上越市。その南部に位置する板倉区は山脈の裾野に扇状地として広がり、妙高山、火打山、焼山といった日本百名山から流れる水を古くから利用してきた肥沃な地だ。この土地で事業を展開するのが、国内初のJGAP団体認証を受けた「穂海」である。経営面積11ha、5軒の農家で構成される「穂海」を率いるのは、就農して2年というキャリアの丸田洋氏。丸田さんの肩書きである「新規就農者」こそ珍しいものではないが、もうひとつの肩書き「元・エンジニア」は異色の一言に尽きる。
大学で航空機の次世代エンジンの研究に従事した丸田氏は、東京本社の重工系の会社で非常用発電設備を扱う企業に就職。3年の間、開発にたずさわった後、故郷に帰ってスキー場でパトロールやガイドの仕事に取り組んだ。冬の仕事場としてスキー場を勤務地に選ぶ農家は多い。やがて同じ職場で働いた仲間から、「新規就農するけれど、一緒にやらないか」と声をかけられ、生産組合の一員として農業に足を踏み入れることになる。 (以下つづく)
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