農業経営者取材 | 新・農業経営者ルポ | ||
私はまだまだ経営努力が足りていない | 農業経営者 12月号 | (2008/12/01)
茨城県有数の土地利用型農業法人
茨城県坂東市、旧地名では猿島郡猿島町。そこに昨年の実績で水田30ha、畑47ha(麦20ha・陸稲10ha、ソバ10ha、ジャガイモ7ha)を生産し、作業請負90haも行なう(有)ソメノグリーンファームがある。生産するコメは全量、給食業者を中心にキロ350〜400円で販売。昨年の売り上げは約1億1400万円。代表者の染野実(48歳)と経理などを担当する妻・千種(46歳)。社員は7年間勤めている加藤一昭(43歳)、5年目の片岡孝介(25歳)の2人。そのほか、年間の臨時雇用が約200名。父の要(75歳)、母の千代子(70歳)はもう引退。3人の娘たちは染野の仕事を受け継ぐとはまだ言い出さない。でも、染野は社員の中からこの法人を継ぐ者が出てきても良いとも考えている。
ソメノグリーンファームは県内でも有数の土地利用型農業法人であるが、代表者の染野はかつて、茨城県農業大学校の落ちこぼれ学生だった。
国が許しても俺が許さない
少年時代からパイロットになることが夢だった染野は、防衛大学校を受験した。高校時代までは進学校に通っていたが、結果は不合格。学費免除も含めて許された防大受験だった。父・要は2年制の茨城県立農業大学校に進むことを命じ、染野もそれに従うほかに道はなかった。この大学受験の失敗という挫折から染野の農業人生は始まった。
一学年20名。全寮制の農業大学校に入学してみると、「俺は花栽培」「僕は果樹だ」と、すでに同級生たちは具体的な農業への夢を持っていた。目標もなく農業大学校に入った染野は取り残され、そこに居場所を見出せない自分に鬱々としていた。授業をサボり、夜一人で寮を抜け出すことも度々。そんな問題児・染野のために父の要も学校に呼び出しを受けた。農業大学校は出席日数不足のために同級生より卒業が1カ月遅れることになった。第二の挫折だった。
そんな染野は、1980年に20歳で卒業すると、友人たちをまねて、「オヤジ、後継者育成資金を借りて園芸ハウスを作らせてくれよ。無利子で金借りられるんだ」と言ってみた。
「バカ言え、国が金を出してくれても、そんなこと俺が許さネー」
二の句を出せない要の言葉が、染野の現在を育てたとも言える。
(以下つづく)
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tider