編集長コラム | ||
農業経営者たちの年頭所感 | 農業経営者 1月号 | (2009/01/01)
【「農業経営者」編集長 昆 吉則 -profile
】
今月は「農通スポーツ」でいく。明けましておめでとうございます。さて、今月号には1993年5月の本誌創刊以来、初めて実現した企画がある。農業経営者による「年頭所感」と「名刺広告」である(今月号と来月号に掲載される)。名刺広告は、これまでにもあった。しかし、農業経営者の皆様にお願いしたのは、本誌でもこれが初めてである。
多くの読者からすれば「何でそんなことに大騒ぎしているのだ?」と思われるかもしれない。本誌スタッフの中にも「社長、ナニ興奮しているんだ?」といった顔をしている者もいる。また、今時名刺広告だなんて時代感覚がずれていると笑う人もいるだろう。でも、これまで農業関連の業界紙誌上の名刺広告や年頭所感に名前を連ねるのは、農民を組織した農業関連団体の代表者か、あるいは農業をマーケットとするか調達先にしている農業関連企業の代表者ではなかったか。小なりといえども全国販売されている農業の業界誌に、農業経営者自身が年頭所感を述べ、名刺広告を出すのは多分、これが初めてなのではないだろうか。
ご協力いただいた農業経営者の方々にはあらためてお礼を申し上げるとともに、来月号でも掲載を続ける。年頭所感と名刺広告を掲載希望の方は本誌までご連絡願いたい。
でも、なぜ農家自身の名刺広告はなかったのか。答えは簡単である。これまでの農業の世界では、「層」としての農民はあっても農業の経営主体として一人ひとりの「農業経営者」の存在は想定されてこなかった。日本農業の経営者は農林水産省なのであり、農業関係者がそこで利権を得、農家自身は「自分で借金する農水省の作男」の地位に置かれ続けてきたのである。農業メディアといわず農業界にあって、農家はいかにも主人公のように扱われても、その実態は、啓蒙と指導と保護の対象にすぎなかった。
「日本農業を守れ!」という叫び声も、農業関係者の居場所作りのために語られるとすれば、自立した農業経営者の登場は、むしろ彼らの存在を危うくするものなのである。
本誌の創刊意図は、戦後的農政の残滓とも言うべき現在の農政、農業組織、農業構造あるいはそこにある文化的状況を乗り越えて、農業経営者たちを真に日本農業の経営主体として登場させることである。しかも、弱者としての農民が政治活動や行政、団体組織に対してそれを求めるのではない。顧客(マーケット)や社会に必要とされて選ばれていこうとする一人ひとりの農業経営者が、その自負と誇りにおいてそれを実現することである。また、風土や環境やそこにある暮らしと歴史の意味を知る農業経営者であればこそ、現代そして未来に向けても大きな役割を果たせるからだ。
簡単に言ってしまえば、農業関係者ではなく農業経営者こそがリードする農業界を作ろうということだ。そして、農業、農民の利害を守るためにではなく、農業経営者が理念を共有する異業種の人々とともに、国内外のマーケットに、そして未来に向けて役割を果たしていく。農業という最も古い産業でありながら、まだ我が国においては関係者の業界はあっても、農業経営者が主人公になる業界はまだ確立はされていない。そんな草創期の業界であればこそ、その夢と責務と誇りを、皆で語っていこうではないか。「金融危機だ」「農業の危機だ」と騒がれる今、農業経営者より寄せられた年頭所感は、意欲と希望に満ち、極めて読み応えがある。
ご協力いただいた農業経営者の方々にはあらためてお礼を申し上げるとともに、来月号でも掲載を続ける。年頭所感と名刺広告を掲載希望の方は本誌までご連絡願いたい。
でも、なぜ農家自身の名刺広告はなかったのか。答えは簡単である。これまでの農業の世界では、「層」としての農民はあっても農業の経営主体として一人ひとりの「農業経営者」の存在は想定されてこなかった。日本農業の経営者は農林水産省なのであり、農業関係者がそこで利権を得、農家自身は「自分で借金する農水省の作男」の地位に置かれ続けてきたのである。農業メディアといわず農業界にあって、農家はいかにも主人公のように扱われても、その実態は、啓蒙と指導と保護の対象にすぎなかった。
「日本農業を守れ!」という叫び声も、農業関係者の居場所作りのために語られるとすれば、自立した農業経営者の登場は、むしろ彼らの存在を危うくするものなのである。
本誌の創刊意図は、戦後的農政の残滓とも言うべき現在の農政、農業組織、農業構造あるいはそこにある文化的状況を乗り越えて、農業経営者たちを真に日本農業の経営主体として登場させることである。しかも、弱者としての農民が政治活動や行政、団体組織に対してそれを求めるのではない。顧客(マーケット)や社会に必要とされて選ばれていこうとする一人ひとりの農業経営者が、その自負と誇りにおいてそれを実現することである。また、風土や環境やそこにある暮らしと歴史の意味を知る農業経営者であればこそ、現代そして未来に向けても大きな役割を果たせるからだ。
簡単に言ってしまえば、農業関係者ではなく農業経営者こそがリードする農業界を作ろうということだ。そして、農業、農民の利害を守るためにではなく、農業経営者が理念を共有する異業種の人々とともに、国内外のマーケットに、そして未来に向けて役割を果たしていく。農業という最も古い産業でありながら、まだ我が国においては関係者の業界はあっても、農業経営者が主人公になる業界はまだ確立はされていない。そんな草創期の業界であればこそ、その夢と責務と誇りを、皆で語っていこうではないか。「金融危機だ」「農業の危機だ」と騒がれる今、農業経営者より寄せられた年頭所感は、意欲と希望に満ち、極めて読み応えがある。