編集長コラム | ||
規制改革より経営者の実践 | 農業経営者 2月号 | (2009/02/01)
【「農業経営者」編集長 昆 吉則 -profile
】
筆者は内閣府の規制改革会議で農林水産業タスクフォースの専門委員を拝命している。既成改革会議の果たす役割と意義というものは認識している。しかし、一方では様々な制度の制約や規制があるから目的が果たせないと語る農業経営者たちを見るとじれったく思う。
規制は確かに存在し、すでに時代遅れの制度や行政施策が国の未来を生み出す担い手というべきチャレンジャーたちに無用なチャンスを奪っている。また、それが役人たちに無意味な居場所を与えるとともに既得権益者の特権的利益をもたらしている。そもそも、現在の農水省という行政システムそのものが現代の日本社会の中では、有効性を失っているからである。
しかし、規制改革会議での官僚たちとの議論を続け、最後は農水省との合意(妥協)の上で閣議決定されていく「規制改革」が、時にはむしろ新たな足かせや役人の居場所を作ってしまうという危惧も感じることもある。今年の会議では、「食糧自給立論」が農水省の省益と無駄な農業保護に免罪符を与えるに過ぎず、我が国の農業振興や国民生活にとっては害毒でしかない、という主張もした。しかし、食料・農業・農村・基本法に「食料自給率の目標」が明記されている限り、それを粛々とやるだけだとかわされる。そして、閣議決定に回される会議の案文の内容は玉虫色。せめて、「食料自給率論」が問題項目として取り上げられたことだけで、議論が喚起されることを期待するしかない。
しかし、会議の委員たちと事務局員たちの努力は、この数年間に様々な成果もあげている。
たとえば、かつてその県の産地品種銘柄に指定されていない品種を作っても、生産者は品種名を明示して販売することはできず、雑米扱いとされてきたが、そういう品種でも検査を受けられるようになった。さらに、昨年の農協の独禁法違反を防ぐために行われた農業での独禁法理解を深めるキャンペーンの実施、機能性米などでの効能の明記に道がついたことなどもある。
さらに、必ずしも目的を達成できているとはいえないが、生産調整、認定農家制度、作物共済制度などの廃止、改正の議論は、農協、農地制度とともに農業を取り巻く最も大きな課題として規制改革会議は取り上げてきている。
しかし、今年もその日程を終えて、ともに戦った事務局の諸氏の努力に感謝しつつも、ある種の無力感を感じている。
そして、委員の立場でこうしたことを発言するのは問題かもしれないが、農業経営者の方々に申し上げたい。規制改革が行なわれるから農業が変わるのではない。農業経営者たちや国民の実践が制度政策を変えるのである。食管法の廃止の経緯を思い出していただければよい。
ただし、平成18、19年と20年の官僚たちの対応に微妙な変化を感じている。政権交代を考えてというより、その後に想定される政界再編後の農水省を取り巻く風向きの変化を気遣ってのものではないか。
平成14年に決められた米政策改革大綱の方向性は、先の参院選後の政局でまったくそれとは反対の方向に進んでいるように見える。これまでにないほどの生産調整の圧力がその証拠だ。だが、肥料代の高騰というマーケットメカニズムが、政策の変更によらずとも日本農業を大きく変化させるだろう。農業経営者の力量が試される時代がやってきたのだ。
しかし、規制改革会議での官僚たちとの議論を続け、最後は農水省との合意(妥協)の上で閣議決定されていく「規制改革」が、時にはむしろ新たな足かせや役人の居場所を作ってしまうという危惧も感じることもある。今年の会議では、「食糧自給立論」が農水省の省益と無駄な農業保護に免罪符を与えるに過ぎず、我が国の農業振興や国民生活にとっては害毒でしかない、という主張もした。しかし、食料・農業・農村・基本法に「食料自給率の目標」が明記されている限り、それを粛々とやるだけだとかわされる。そして、閣議決定に回される会議の案文の内容は玉虫色。せめて、「食料自給率論」が問題項目として取り上げられたことだけで、議論が喚起されることを期待するしかない。
しかし、会議の委員たちと事務局員たちの努力は、この数年間に様々な成果もあげている。
たとえば、かつてその県の産地品種銘柄に指定されていない品種を作っても、生産者は品種名を明示して販売することはできず、雑米扱いとされてきたが、そういう品種でも検査を受けられるようになった。さらに、昨年の農協の独禁法違反を防ぐために行われた農業での独禁法理解を深めるキャンペーンの実施、機能性米などでの効能の明記に道がついたことなどもある。
さらに、必ずしも目的を達成できているとはいえないが、生産調整、認定農家制度、作物共済制度などの廃止、改正の議論は、農協、農地制度とともに農業を取り巻く最も大きな課題として規制改革会議は取り上げてきている。
しかし、今年もその日程を終えて、ともに戦った事務局の諸氏の努力に感謝しつつも、ある種の無力感を感じている。
そして、委員の立場でこうしたことを発言するのは問題かもしれないが、農業経営者の方々に申し上げたい。規制改革が行なわれるから農業が変わるのではない。農業経営者たちや国民の実践が制度政策を変えるのである。食管法の廃止の経緯を思い出していただければよい。
ただし、平成18、19年と20年の官僚たちの対応に微妙な変化を感じている。政権交代を考えてというより、その後に想定される政界再編後の農水省を取り巻く風向きの変化を気遣ってのものではないか。
平成14年に決められた米政策改革大綱の方向性は、先の参院選後の政局でまったくそれとは反対の方向に進んでいるように見える。これまでにないほどの生産調整の圧力がその証拠だ。だが、肥料代の高騰というマーケットメカニズムが、政策の変更によらずとも日本農業を大きく変化させるだろう。農業経営者の力量が試される時代がやってきたのだ。