農業経営者取材 | 新・農業経営者ルポ | ||
受け継がせたいのは、誇りごと。 | 農業経営者 2月号 | (2009/02/01)
かつて松も育たたなかった原野を開拓した入植初代の祖父と、二代目の父から受け継いだのは、 優れた経営感覚だけでなく、開拓者としての誇りとチャレンジ精神だった。
先代を超えてこそ真の後継者となる 「売家と唐様で書く三代目」 と江戸川柳はいう。
書を学ぶ暇もなくひたすらに働いた初代。それを受け継ぎ家業を発展させた二代目。財を成した二代目の庇護の下で教養を積み、粋人として育った三代目。その三代目が、祖父や父が書くこともできなかった洒落た唐様の文字で「売家」と張り紙をする。 いかにもありそうな話である。
それは家業の継承だけでなく、戦後の困難のなかで豊かな国を作り上げた世代の三代目ともいえる現代日本人、あるいは新開地に入植した農家の後継者が、入植世代の開拓精神を忘れ、未来を危うくさせる姿にも重なる。
欠乏の時代ならば、貧しさは志を持った人々を強くする。しかし、労せずして与えられた豊かさのなかでは、伸びる力を持った者までもが安楽さに溺れ、夢見る力さえ萎えさせてしまう。
戻し続け、作り続けてきた土。まさにそんな「土」に象徴される、先人が未来に託した遺産の恩恵を享受するだけなら、それは怠惰な資産管理人に過ぎず、後継者と呼ぶに値しないのだ。受け継いだ誇りや理念を守りながらも、先代を超えて新しい時代と経営を創りだす者だけが、真の後継者と呼ばれるべきではないだろうか。
今回の主人公は、農家一戸あたりの販売額が日本で最も大きい地域といわれる愛知県渥美半島で、ダイコン作りに取り組む西山直司(46歳)である。
ハウス園芸による野菜や花卉、露地野菜や畜産。今でこそ渥美半島は豊かな農業地域である。 しかし、コメ作りに適さない洪積台地の農業は、70年代に入るまで貧しさのなかにあった。1968年に豊川用水が通るまでは、天水頼みの農業だったのである。昭和初期に始まった、水もなく松も育たない痩せ地への入植。食糧難だった戦後の一時期を除けば、ずっと苦労の連続だった。
田原市六連町一本木(弥栄集落)に入植した祖父・故西山忠雄は、開拓者たちのリーダーとして、早くから農協組合長などの村役に就いていた。その忠雄に代わり、西山家の農業経営を発展させたのは、渥美農高を卒業した当時から経営を任されていた二代目の父・西山作(72歳)である。
さらに作から家業を受け継いだ三代目・西山直司を通して、農業経営と開拓者精神の継承について考えてみたい。
(以下つづく)
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