編集長コラム | ||
生産調整廃止の日は目前に迫った | 農業経営者 6月号 | (2009/06/01)
そのなかで、本誌が批判してきた食糧自給率(自給力)問題も言及されている。「自給力」について「国民への食料の安定的供給のためには、どのような政策目標を設定することが適切かということについて、幅広い観点から改めて検討する」との一項目が入っている。
これは本誌で連載してきた自給率論批判の論理が認識を得始めた結果でもあり、歓迎したい。
すでに欧米諸国が、国内保護に力点を置いた農業政策から、国内外の競争を促しつつ選択的に直接支払いというセーフティーネットを張る政策に転換したのも、国内自給論に基づく保護政策の過ちに気付いたからなのだ。
「しかし、わが国はコメの国家管理による生産調整を続けつつ、外に向かっては778%の関税相当の貿易障壁を作っている。それに対するペナルティーとして77万tのMA米輸入を義務付けられ、それがさらに減反を強化する理由になってきたのだ。これは農業に安楽死を勧める政策であり、そんなことを我われは容認できない。
だからこそ、今回の閣僚会合で出てきた方向性は、まどろっこしいが変化を予兆させる。
思い出していただきたい。農林水産省は2002年に「『米づくりのあるべき姿』の実現のために」と断った上で、生産調整の国家管理をやめ、「平成20年度までに「農業者・農業者団体が主役となるシステム」を構築する」という内容の「米改革大綱」を出した。しかし、改革大綱策定の過程で、一度はそれを了承した自民党農林族が、先の参院選での自民党敗北を受けてゾンビのようによみがえってしまったのだ。
自民であれ民主であれ、農政族といわれる政治家たちの頭にあるのは、農業の発展ではなく選挙の票である。全国に22万人の職員数を擁する農協職員の「農協票」や、そのほかの農業界に居場所作りをする「農業関係者票」を期待してのことだ。そして農協が生産調整にこだわるのは、国家管理による生産調整を前提に、「減反」の現場執行団体として、農家・農村の支配を続ける手段だからだ。
だしかし、遅くとも今年中には総選挙がある。それが終われば、農政族の声は静まる。彼らとて現在の政策に限界があることは認識している。さらに、選挙後に起こるであろう政界再編で、農政に大きな変化が生じるのではないだろうか。そこでは、これまでの農林族が支配してきた農政に関して、声高に異議を申し立てる勢力が台頭してくるだろう。財界というより消費者の声を代弁する形で。
どちらにしても現在の生産調整は続かない。経営者諸氏もその後を見据えた経営戦略を持つべきである。やっと、日本の農業も農業経営者がリードする時代が始まるのだ。
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