農業フリージャーナリスト。1963年愛知県岡崎市生まれ。86年に京都外国語大学英米語学科卒業。日本交通公社(JTB)勤務を経て、韓国延世大学に留学。帰国後、(株)船井総合研究所などに勤務。在職中、農業関連のコンサルティングに携わる。99年に独立、農業関連のフリージャーナリストとして活動中。著書に「
『農』が変える食ビジネス」(日本経済新聞社)、「農産物のダイレクト販売」(共著、ベネット)、『強い農業をつくる』(日本経済新聞出版社)がある。農業関連の月刊誌、新聞などに記事を連載する一方、茨城大学農学部の非常勤講師、韓国農民新聞の客員記者も務める。
1949年宮城県生まれ。東京大学大学院修了。農学博士。食・農・むら・コメから日本社会を展望する評論活動を展開する一方で、農村と都市を結ぶネットワーク作りにも関わる。著書に『
ニッポンのコメ』(朝日新聞社)、『
個の時代のむらと農』(農林統計協会)など。経済財政諮問会議のメンバーとして、農政改革にも携わる。
1965年愛知県生まれ。フリーライター。専門分野はチベット・ヒマラヤと環境問題。年に1度はチベットに通う。著書に『
知識ゼロからの仏教入門』(幻冬舎)、『
チベットで食べる・買う』(祥伝社黄金文庫)、『旅行人ノート チベット』(旅行人)など。
菊地治樹(Hiroki Kikuchi)
上智大学哲学科卒業後、家業の(株)菊地鉄工所(茨城県土浦市)に入社。同社は大正4年創業の老舗鉄工所であったが、入社当時、顧客の大半が酪農家であったため彼らのニーズに応えるべく外国メーカーを研究、入社と同時にジョンディア社商品の取扱いを開始する。現在、その細やかなサービスが県内外の大規模畑作経営者から支持され、遠く離れた県からの受注も多い。
叶芳和(Yoshikazu Kano)
1943年鹿児島県奄美大島生まれ。元・財団法人国民経済研究協会理事長。元・拓殖大学国際開発学部教授。現在、帝京平成大学現代ライフ部教授。著書に『農業・先進国型産業論』(日本経済新聞出版社)、『日本よ農業国家たれ』(東洋経済新報社)、『農業ルネッサンス-21世紀産業のイノベーターたち-』(講談社)など。
高校時に米国留学後、早稲田大学を経てJAL国際線客室乗務員として30年勤務。乗務時間は2万時間。世界初の「カラオケ・フライト」や「1万メートル上空・北島三郎機上コンサート」などを実現させる。千葉の自宅は1300坪の山林を開墾してプール、テニスコート、コンサートホール等を手作りする。現在、(株)日本成功学会社長として自己啓発や社員教育で講演中。著書に『あなたの人格以上は売れない!』(プレジデント社)、『
出過ぎる杭は打ちにくい!』(サンマーク出版)、『
面白くなくちゃ人生じゃない!』(ロングセラーズ)、『
リセット人生・再起動マニュアル』(ワニブックス)、『
小説・球磨川』(上下巻・ワニブックス)などがある。
1966年東京都生まれ。(株)椿本チェイン、パイオニア・ハイブレッド・ジャパン(株)、(株)農業技術通信社の副編集長、衆参国会議員の政策担当秘書などを経て「農援隊」を設立。「栄養週期理論」提唱者の大井上康氏の絶版書『
家庭菜園の実際』『
大井上康 講演録』の復刻を行なう。
小林彰一(Shoichi Kobayashi)
青果物など農産物流通専門のジャーナリスト。(株)農経企画情報センター代表取締役。「農経マーケティング・システムズ」を主宰、オピニオン情報紙『新感性』を発行。著書に、『ドキュメント青果物市場』、『日本を襲う外国青果物』、『レポート青果物の市場外流通』、『
野菜のおいしさランキング』などがあるほか、生産、流通関係紙誌での執筆多数。
1949年神奈川県生まれ。1984年農業全般をテーマとする編集プロダクション「農業技術通信社」を創業。1993年『農業経営者』創刊。「農業は食べる人のためにある」という理念のもと、農産物のエンドユーザー=消費者のためになる農業技術・商品・経営の情報を発信している。2006年より内閣府規制改革会議農業専門委員。
関 祐二(Yuji Seki)
1953年静岡県生まれ。東京農業大学において実践的な土壌学にふれる。75年より農業を営む。営農を続ける中、実際の農業の現場において土壌・肥料の知識がいかに不足しているかを知り、民間にも実践的な農業技術を伝播すべく、84年より土壌・肥料を中心とした農業コンサルタントを始める。
1958年生まれ。専門学校卒業後、佐川急便にてドライバーを経験。体力を買われテリー伊藤に拾われ、「元気が出るTV」などのディレクターを務める。30歳で起業。オリジナルゴルフウェアーのメーカーとイベント企画会社の二社を潰す。その後、AVメーカー「ソフトオンデマンド」を設立。10年で100億円企業にまで育て上げて引退。資産およそ100億円を投げ出す覚悟で「
国立ファーム」設立準備室を2006年4月からスタートする。
田牧一郎(Tamaki Ichiro)
1952年福島県生まれ。74年、米カリフォルニア州の国府田農場で1年間実習後、帰国、大規模稲作経営に取り組む。89年、カリフォルニアに渡米、コメ作りを開始する。同時に始めた精米会社で「田牧米」を作り、米国内にとどまらず世界中の良質米市場にブランドを定着させた。現在は、コメを生産しながら、コメ産業コンサルタントとして活躍する。
土下信人(Nobuhito Tsuchishita)
1949年愛知県生まれ。95年、沖縄で(有)土下を設立。組織培養技術を活用した苗生産・販売を中心とした農業のコンサルタント業務を開始。上海で組織培養施設への指導を行ない、2003年同地で組織培養会社、上海百奥微繁植物有限公司を設立。HP『
おもしろすぎるぜ 中国で農業』を主宰。
土門 剛(Takeshi Domon)
1947年大阪市生まれ。早稲田大学大学院法学研究科中退。農業や農協問題について規制緩和と国際化の視点からの論文を多数執筆している。主な著書に、「
農協が倒産する日」(東洋経済新報社)、「穀物メジャー」(共著/家の光協会)、「東京をどうする、日本をどうする」(通産省八幡和男氏と共著/講談社)、「
新食糧法で日本のお米はこう変わる」(東洋経済新報社)などがある。大阪府米穀小売商業組合、「明日の米穀店を考える研究会」各委員を歴任。会員制のFAX情報誌も発行している。
(株)結アソシエイト
代表取締役
日本能率協会総合研究所で公共系地域計画コンサルタントとして10年間勤務後、東京農業大学国際食糧情報学科助手を経て農業コンサルタントとして独立。実需者と生産者の連携の仕組みづくりや産地ブランド戦略を支援している。日本政策金融公庫農業経営上級アドバイザー試験合格者。
宮井能雅(yoshimasa miyai)
1958年3月、北海道長沼町生まれ。現在、同地で水田110haに麦50ha、大豆60haを作付けする。大学を1カ月で中退後、農業を継ぐ。子供時代から米国の農業に憧れ、後年、オーストラリアや米国での農業体験を通して、その思いをさらに強めていく。機械施設のほとんどは、米国のジョンディア代理店から直接購入。また、遺伝子組み換え大豆の栽培を自ら明かしたことで、反対派の批判の対象になっている。年商約8000万円。
村井信仁(Shinji Murai)
農学博士。1932年福島県生まれ。55年帯広畜産大学卒。山田トンボ農機(株)、北農機(株)を経て、67年道立中央農業試験場農業機械科長、71年道立十勝農業試験場農業機械科長、85年道立中央農業試験場農業機械部長。89年(社)北海道農業機械工業会専務理事、2000年退任。現在、村井農場経営。著書に『耕うん機械と土作りの科学』など。