【すぎやま農場 杉山修一(栃木県塩谷町)】
たった一人の発見が、世の中に大きなインパクトを与えることがある。新たな発見が誕生する瞬間、人間の信念は拡大する。既存の価値観を突破しなければ、新たな価値観は創造されないからだ。杉山修一という、たった一人の農業経営者が創り出した農場が今、多くの人々を魅了し、自然や農業に対する価値観に影響を与え始めている。信念が拡大するきっかけは、人との出会いや別れ、病気や交通事故など、人それぞれだが、杉山の場合は、見慣れたある風景だった。
農業機械と農薬のスペシャリスト
就農した1977年当時に3haだった圃場面積は、2008年には借地も含め48haにまで拡大した。規模拡大を進めると同時に、数々の農業機械を導入することによって、水稲、小麦、大麦、ソバ、大豆といった品目を2年3作で栽培する効率的な輪作体系を実現してきた。
積極的に導入してきたのは機械だけではない。もともと科学的思考の持ち主である杉山は、農業高校時代に習得した農薬の知識を活かし、最新の農薬をいち早く入手しては、その効果を最大限に活用してきた。外資系農薬メーカーの販売前モニターなども積極的に務めていた。気がつくと、杉山は農業機械と農薬に関するスペシャリストとして、地域の相談役的な存在になっていた。
最先端の農業機械の導入、最新の農薬の活用、大規模な土地利用型の農業経営によって面積も売上も順調に拡大し、自分自身の信念や農業経営の方向性には、何の迷いも疑問もなかった。
アトピー性皮膚炎で有機農業への転換を決意
ところが、である。順風満帆だと思われた杉山は、突然思わぬ出来事に見舞われる。重度のアトピー性皮膚炎が発症したのである。
農薬を散布するたびに、全身が激しい痒みに襲われた。当初はその都度、痒み止め薬の注射を打ち続けていたが、やがて注射の効き目がないほどに症状が悪化してしまった。杉山は「とにかく痒くて苦しかったですよ。農薬の効果はあったけど、こんなに苦しいことを一生続けるなんて考えられなかった」と述懐する。
激しい痒みから逃れるため、杉山は農薬の散布を止め、農薬を散布していないコメを食べた。すると薬物治療を施さなくても、アトピー性皮膚炎は治癒していったのである。この体験に、信じてきた科学的思考は万能ではないことを思い知った。杉山は今でも、すべての農薬の有効性について否定しているわけではない。しかし「自分が食べられないおコメを他人に販売するわけにはいかない」、そう考えた。同時に、長男の真章の就農が決まったこともあり、杉山は除草剤や化学肥料を使わない農業に転換する判断を下したのだった。今から7年前の01年のことである。
(以下つづく)